素人が専門家に立ち向かう大変さ
【落合】あのころは不思議なことがたくさんありました。レジデント(研修医)の先生がいろいろ書いてくださるのですが、病歴を間違えていたり。今の医療制度の試験で入ってくる方は、ある部分ではすごく優れているけど、大丈夫かしらと思う若い医師も中にはいました。
【橋中】ご自分で確かめられたのですか。
【落合】カルテを閉じてなかったから見えてしまった。生年月日も病歴も間違っていて、母だけではなく、他の患者さんも診ているわけで。そんなドクターが母を担当している。でも、彼にも将来があるでしょう。
【橋中】なかなか言えませんよね。
【落合】この人は、ここで研修をして、地域に出て行く。どうしようと悩み抜いて、教授に「私の勘違いかもしれないけど、ちょっと見てあげてください」と言うのが精一杯だった。今思えば、もっとはっきり言うべきだったのかな。
【橋中】うーん。
【落合】私はずっと権力や権威と呼ばれるものを一度立ち止まって考えようと呼びかけてきたひとりです。今でもいろいろな運動をやっているけど、母の病気を通して医療も同じだったのかと。誰かが病気になったとき、家族、血縁がいなかったら親しい人が、しっかりサポートしなきゃいけない。それを痛感した瞬間でした。
【橋中】介護の前にまず、医療と出会うんですよね。そこでつまずいて、わからないことや、十分に説明されていないと感じることがたくさんあります。
【落合】たとえば政治のおかしいと感じる問題を調べていくときと同じルートだったのです。でも、最後のところは素人の悲しさで、誰に聞いていいかわからない。どこに問題提起していいのかもわからない。私はそれぞれの医師にたずねたけど、きっちりとした答えが返ってきたのは、最後の2年間にお世話になった在宅医療の医師だけです。
【橋中】信頼できる先生に出会われたんですね。
【落合】わからないことは「わかりません」とおっしゃる若いドクターでした。医師はなかなか「わかりません」と言いませんよ。それまでの先生は年齢的にかなり上の人だったし、社会的地位があったからかもしれないけど。
【橋中】プライドもあるんでしょう。
【落合】若い先生は「わかりません、すみません」と言って帰られるけど、次にいらしたときに、資料をもってこられて、「これだと思います」と説明してくださる。こういう対応をしてもらえれば、患者や家族は余計なところで苦しまなくて済みますよね。