『もしドラ』祭りに
参加できたという喜び

――最初、どんな展開をしていただいたのですか?

水上 最初はドラッカーの棚の前に1面平積みして、あと新刊売り場。それとエンド台っていう棚の角の目立つ場所に6面くらい平積みしました。

 最初、動き出したのはドラッカーの棚とエンド台でした。新宿本店の場合、ドラッカー関連の新刊を探しているお客様は、新刊台よりドラッカーの棚を見られるんです。だからそこに置いたのですが、案の定そこでまず売れました。

ドラッカーの棚前には、今も1面平積みされている。

 それから他の場所でも売れて、ものの1週間で売り切ってしまったんです。あれって気がついたらもう売れていて、これはまずいぞって、それからますます多く積むようになりました。反応は早かったですね。こんなに早く火がつくとは予想外でした。

――ポップなど作られたのですか?

水上 いいえ。この本は、本全体がポップだなって思ったので、余計なものは作らなかったです。

――それからもっと大きな波になりましたが。

水上 でもここまで売れるとは…。最初に驚いていたのなんて序の口で、それから発注は売り場の私の手から離れて、お店全体で仕入れ部の方で担当していました。発注単位も数十から数百へ、それはもう日ごとに大きくなっていくのをまざまざと実感しました。

―― 本が売れるってことは編集者にとって醍醐味ですが、書店員さんにとっても同じなんですね。

水上 よく書店員の人がポップをつけて売れ出したのがきっかで全国的に売れたっていう話がありますね。でも書店の人の中で、そうやって「あの本は私が売った」って言える人って、本当に一握りだと思うんです。

 また、自分が担当しているジャンルの中からで、世の中で話題になる本が出るとも限らないじゃないですか。担当するジャンルによっては話題になる本が出にくいジャンルもあります。出やすいジャンルでも自分が担当している間に、そういう本が出ないこともあります。

 ですから、こういう『もしドラ』が売れたときに、ビジネス書担当でいたことって、本当に幸せなことなんだなんって、後になって思ったんです。この一連のお祭りのようなブームの中にいられたことが、幸せだなって。

 最初はビジネス書売り場で火がついて、それからどこの売り場でも売れるようになって、それから日本全国に『もしドラ』が広がっていく中にずっといられたというのは、本当に運がよかったです。