原子力発電のあり方を含め、エネルギー政策の見直しが始まった。しかし、東電をはじめ原発関係者が反論できない状況のなか、マス・メディアや政府の側からのみ一方的に情報が流れている。それを正しいと判断できる合理的根拠もなく「東電が悪い」というイメージが植え付けられ、国家の大計を諮る公正な議論は進むのだろうか。『TPP亡国論』著者の中野剛志氏が緊急提言する。

東電社長に土下座させるのはやりすぎ

東日本大震災と福島原発の事故を受けて、エネルギー政策が大きく揺らいでいる。今回の災害及び事故を踏まえたエネルギー政策、特に原子力政策の見直しが必要であることは言うまでもない。

 しかし、現在のような検討状況が、エネルギー政策を誤った方向へと向かわせてしまわないか、筆者は強く懸念している。というのも、今の世の中の雰囲気が、公平な議論や正しい判断を可能にするような状況から程遠いためである。

 目下、今回の原発事故に対する賠償問題や東電の経営に関する問題が議論されている。しかし、最近の東電に対するバッシングは、明らかに常軌を逸しており、公平性を欠いているのではないだろうか。

 例えば、原子力損害賠償法第三条第一項には、原発事故について基本的には事業者に賠償責任を課しつつも「ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りではない」とある。異常に巨大な天災地変や社会的動乱による被害の場合は、政府が被災者の救助や被害の拡大の防止のために前面に出ることになっているのである。

 福島原発の事故についても、「異常に巨大な天災地変」によるものだからやむを得ないという側面がどこまでで、東電に問題があるという側面がどこまでかは、事態が収束した後に行われる客観的な事後検証の結果を待つしかない。その検証結果を受けて、東電にしかるべき責任をとらせるべきであって、現時点では、事態を正確に評価するための根拠はまだ十分ではないはずだ。それなのに、東電の責任を追及する声ばかりが喧しいのは公正とは言えない。まして、東電の社長に土下座をさせるなど、法治国家・市民社会がやることではない。

一方的な情報による「東電が悪い」というイメージ

 しかも、現在、当事者である東電側がまったく反論できない状況にある中で、マス・メディアさらには政府の側からのみ、一方的に情報が流れている。国民は、そうした一方的な情報をもとに、正しいかどうかも分からないまま、ただ「東電が悪い」というイメージを抱かされている可能性が高い。こうした状況は、政治による責任逃れに悪用される危険性が極めて高い。