モノがないよりあったほうがいい
しかし「あればいい」というわけでもない

 もちろん、モノがないよりあったほうがいいに決まっています。

 しかしながら被災地では、震災前とはあまりにもかけ離れた生活を送らざるを得ない状況が続いています。それは、これまで手にしてきたモノとはまったく違うモノで暮らさなければならないという生活です。

 数ある選択肢から自分なりのこだわりを満足させるモノを選び、自分なりのオリジナルな生活をしていたのに、震災を境に画一化された生活を送らなければならない。被災地以外の人には、食料も洋服もあるのだからいいじゃないかと映りますが、被災者たちにとっては、このことが強いストレスになっています。

 私は、この点が豊かな社会に起こる災害の難しさだと思います。豊かな社会だったからこそ、選択肢がない生活をストレスに感じてしまうのです。

 例えば、同じような災害が発展途上国で起こったらどうなるでしょうか。

 もともとシンプルな生活を送っていた人が、災害に遭って家や生活道具を奪われる。そのとき支援者からシンプルなモノを支給されたとしても、そのことが原因でストレスを感じることはありません。

 豊かな生活を送り、数多くの選択肢があったのに、突然その選択肢が奪われてしまう。そんなとき「生きているだけで良かったじゃないか」「貧しい国の人に比べればましだ」と言われても、なかなか納得できるものではないと思います。

 被災地の状況を「戦後」に例える人がいます。

 しかし、戦後と現在はまったく違います。戦時中の貧しい生活のなかで焼け野原になった状況と、豊かな生活から選択肢を奪われた状況を同一視することはできません。何でも手に入るだけで嬉しいと感じていた時代とは異なるのです。

 被災地の人たちは、むしろ震災前と震災後の落差に目を向けてほしいという思いがあるのではないでしょうか。

震災からの復興を真剣に考える時期が訪れる
再び同じような「豊かさ」を追い求めていくのか

 震災で工場が被災し、ペットボトルのフタの生産が間に合わないそうです。

 本来、温かい飲みものはオレンジ色のフタをつけるのが慣例ですが、やむを得ず冷たい飲みものと同じ白いフタで提供されているといいます。白いフタにはシールが貼ってあり、そこにはこのような趣旨の言葉が書かれているそうです。