石油ショック時には総需要抑制策がとられた

 1973年秋に生じた第一次石油ショックも、供給面で生じたショックだ(図表1-4の4)。このときは、石油輸出国機構(OPEC)加盟の中東産油国が原油生産の削減とイスラエル支援国への禁輸措置をとったので、石油の供給に制約が生じた。このため、需要抑制が必要となり、「総需要抑制策」がとられ、74年度予算で公共事業などの支出が削減された。また、金融引き締めが行なわれた。さらに、石油使用抑制のため、エレベータの休止や照明の節減などが行なわれた。今回の状況はこのときと似ている。

 石油ショック後の政策対応は適切なものだった。総需要が抑制され、また円高が容認されたため、超過需要が調整されたのである。

 その後、省エネルギーのための技術革新が進み、生産能力は回復していった。

戦後復興は、インフレで賄われた

 第二次大戦も、経済の供給サイドに大きな影響を与えた。空襲によって日本国内の生産設備、社会資本、住宅が破壊されたからである。これによって、日本国民は耐乏生活を余儀なくされた。

 フェイズ2において、復興のために政府が行なったのは、1946年に決定し、47年から実施された「傾斜生産方式」である。これは、石炭、鉄鋼、電力、海運産業などを重点的に復興させようとする国策だ。厳しい供給制約のなかで投資が行なわれたため、インフレが発生して消費が強制的に削減された(インフレが発生したのは、復興金融金庫が復金債を発行して日銀に引き受けさせ、その資金を融資したからである)。今回の復興投資も、国債(とくに、日銀引受の国債)によってファイナンスされれば、このときと同じことになるだろう。

 その後、1950年に朝鮮戦争が勃発し、日本経済は特需景気に沸いて経済成長を果たしたが、これは、生産力が回復してから後のことだ。これがフェイズ3であり、その後の高度成長につながっていった。

世界経済危機は需要ショック

 以上で述べたのは、経済の供給側で生じたショックである。2007年以降の金融危機と世界経済危機も、経済活動に大きな影響を与えた。ただし、これは、需要が大きく落ち込むことによって引き起こされた需要ショックであった。

 供給力が十分あるにもかかわらず需要が不足する経済、つまりケインズ経済学が想定する典型的な経済になったのだ。だから、需要が追加されれば、総生産が拡大する。このため、エコポイント等の需要喚起策が効果を発揮したのである。また、中国に対する輸出が増大して、総需要を増加させた。