隆嗣は同じローボードの上に置いてあるCDのスイッチを入れ、ソファに背を預けてその曲に聴き入った。しばらくすると、歌声に招かれたように父が座敷からやって来て、間延びした声を上げた。

「おい、集会に行くけん車で送ってくれんな」

 隆嗣は、長崎へ戻ってから父と男二人での生活を送っていた。自炊することにも慣れて、今では料理に楽しみさえ感じている。掃除も同様だ。洗濯も機械がその労働の大半を肩代わりしてくれるので苦はない。生まれて初めて1日24時間の長さというものを実感するようになっていた。

 父は相変わらず『原爆を語り継ぐ』ボランティア活動にすべてを捧げているし、それが70台半ばとなった身に生きる証を与えているようで、隆嗣よりも肌艶が良く元気そのものだ。

 隆嗣も手伝おうかと考えたこともあったが、暇つぶしで活動に加わるのは、真摯に献身の行いをしている父たちに対する冒涜であろうと思いとどまった。

 今は活動に動き回る父のお抱え運転手をすることだけが仕事だ。3ヵ月先の8月9日、64年目の長崎原爆の日に向けて、今も父たちは慌しく準備を進めている。今日の集会もそのためだろう。

 長く暗い回廊を通り抜けた果て、ようやく辿り着いたのは平凡な日常だった。

 振り返ると、自分が残すことが出来たのは、そこにある2枚の写真だけだ。父が一途に成し遂げてきたことに較べれば、誇れるほどのものではない。だが、ささやかな満足感だけは得ていた。

「なんな、飴玉なんかしゃぶって。子供じゃあんまいし」

 隆嗣の口中にあるものを指して、父がからかいの声を上げる。昔の父は、こんな軽口を言う男ではなかった。年齢のせいかもしれないが、そんな父も悪くない。

「禁煙のためさ。我慢しているんだよ」

「ハハハ、ええ歳こいて飴玉しゃぶって禁煙か。そげん苦労すっぐらいなら、最初から煙草なんち吸わんどきゃよかったろうもん」

「まったくだ。親父の言うとおりさ」

 隆嗣は逆らわずに自分自身へ首を振った。

「お前もぶらぶらしとらんで、なんかすっこつば探さんかい。人生の先は、まあだ長かぞ」

 父の説教から逃れようと、隆嗣は車の鍵を取りに部屋を出て行こうとした。

「よか唄やね」

 声に振り返ると、CDの前に立って腕組みをしている父の姿が見えた。

「へえ、親父は英語が解るのかい?」

「解るわけなかろうもん。ばってん、よか声やなかか」

 失った恋人を狂おしいほど慕い、いつまでも待ち続ける切ない歌詞を、リチャード・マークスのややハスキーで艶のある声が奏でている。

『ライト・ヒア・ウェイティング』、ようやく静かな気持ちで聴けるようになったこの曲に、隆嗣も耳を委ねた。

(完)