求人広告を見て
すぐに転職を決意

――あの本の裏側にそんな逸話があったとは……。長く深い付き合いならではですね。ここで話題を変えて、玉置さんがこの仕事に就かれた経緯を教えていただけますか? はじめからエージェントというお仕事に興味があったのでしょうか?

玉置 幼少時代を海外で過ごし、読書が好きだったので、欧米の小説やミステリーに慣れ親しんでいました。20歳くらいのときに国際派就職を扱ったガイドブックのようなものを手に取り、著作権仲介エージェントの仕事を知りました。まずは社会人としてのトレーニングを受けてからと思い、某百貨店に就職して、営業企画部、海外事業部と約2年半勤めました。

 勤めた百貨店にはとてもお世話になって、またビジネスの基本を教えていただけた良い環境だったのですが、あるとき新聞の求人欄で現在の会社の募集を見つけたとき、本が好きだったこともあり、またなぜか「自分が活かせるのはこの仕事だ」と確信して、その日のうちに電話をしたのを覚えています。そのとき募集していたのが、退職者がいて欠員が出ていたノンフィクションの部署だったのですが、実は「ノンフィクションってなんですか?」というのが本音でした(笑)。そのままずっと今に至っています。

――文芸系がやりたかったんですか?

玉置 やりたかったというより、翻訳書というと小説や絵本が頭にあったので。「物理? 全然わかりません」というようなこともありました(笑)。ただ、ノンフィクションというのは、そのときそのときの時代を表す、または次の時代を先取りした内容が多いですよね。そこに面白みを感じてからは仕事が楽しくなりました。

――いまはノンフィクションのエキスパートである玉置さんは、ベストセラーも数多くかかわられてますよね。

玉置 印象に残っているのは、グラハム・ハンコックの『神々の指紋』ですね。230万部のベストセラーになり、売れるとどんなことになるのか、をひと通り経験できました。版元の翔泳社さんはコンピューター書から一般書に扱いを広げられてまもなくだったので、共に試行錯誤をし、一喜一憂しましたね。

 単行本以外に、漫画化、講演、対談、テレビ出演、展覧会、CD、文庫化などに展開しました。実現はしなかったのですが、オファーはその数倍あって、その後のビジネスのきっかけにもなりました。

 一世を風靡する作品は、その時代に可能な、あらゆる広がり方をするものだと学べた貴重な機会でした。


数多くの作品を数多くの編集者とともに手がけてきた玉置さん。まだまだたくさんのエピソードをお持ちです。後編では、今のお仕事でよかったこと、つらかったことなどをさらに具体的なタイトルを交えながら語っていただきます。

玉置真波(たまおき まなみ)
慶応義塾大学法学部卒業後、百貨店勤務を経て、1993年 株式会社タトル・モリ エィジェンシー
入社、ノンフィクション部門を担当し、現在に至る。