「現実生活×情報交換」のエリアには
当たりさわりのない会話に終始するリスクが潜む
次に、現実生活と情報交換が重なるソーシャルメディアには、フェイスブックの「公開グループ」やミクシィの「コミュ」のようなサービスがありますが、表象のコミュニケーションによる窮屈さに加え、交友関係そのものに利便性や有効性を求めることのミスマッチが問題となります。
自治体や地元のNPOなどが運営する地域SNSと呼ばれるジャンルが行き詰まり、全滅の様相を呈しているのはこのミスマッチによるものだと整理できます。
「表象する」とは、記号的なものや上辺のイメージでその人を説明しようとする行為を指します。男性であるとか、商社に務めているとか、世田谷に住んでいるとか、40代で2児の父親であるといった地位や属性は、本当の私が唯一の存在として「誰」なのかを伝えるには不十分なのかもしれません。表象のコミュニケーションでは、どこか予定調和な当たりさわりのない対話になる傾向が生じます。
フェイスブックはこれからが見どころです。実名性を強化し、あらゆる属性を開示することを求めるフェイスブック。しかし、本当に人々はすべてを開示することを望むでしょうか。
フェイスブックの創始者マーク・ザッカーバーグは、「透明性の高い人間関係」を提唱しています。もっとみんなが自分を開示するようになれば、世界はもっとつながることができるのだといいます。
果たして、この透明性は人々をより深くつなげていく原動力になりうるでしょうか。それとも、やはり人々は「あなただけに打ち明ける秘密」に気持ちを動かされるものなのでしょうか。これもまた、私たち人間の「心」に関わる問題です。