しかし、一方で「残った自分たちもたいへんだった。でも、そういうことを口に出せるものではない」といった感情も、持っているのではないでしょうか。しかし、残っていた人の大変さは周囲から見ても目立たないものです。

 これは「こころが引き裂かれている状態」だと私は考えています。

思いを素直に主張できないことでこころが引き裂かれる

 最近起こった新潟豪雨の被害に遭われた被災者の方々は、東日本大震災の被災者の方々と何ら変わるものではありません。

 地震や津波による甚大な被害のさまを見たあとだけに、なかなか同一視することは難しいと思いますが、被災者個人レベルで考えればどちらもたいへんな被害です。しかし、ボランティアをはじめとする支援はあまり行き届いていないように見えます。

 不幸にして被害に遭われた方々も、支援をしてほしいと願う一方で、東日本大震災の被害を考えると強く主張できないという思いがあるのではないでしょうか。東北の被災者が本当に辛い思いをしているということに共感しているからだと思います。だからこそ、こころが引き裂かれてしまうのです。

 企業でも、別の意味でこころを引き裂かれてしまう人がいます。

 たとえば、メンタルヘルスを患って会社を休む社員が出たとします。特に「新型うつ」と呼ばれる、見た目には元気そうな人に休まれてしまうと、残された人たちにはこんな感情が湧き起こるものです。

「あの人は本当に休む必要があったのか? 自分たちだって辛いのに」

 その社員には診断書も出ているのだから、批判を口にすると自分の品格が疑われる。こころのなかの思いとは別に、表面的には「ゆっくり休んでほしいね」と言わなければならない。本音と建前の間に大きなギャップが生まれ、そこから生じるストレスによって少しずつやる気が損なわれていく。そのため、生産性が低下するばかりか、その人自身がこころの病に冒されてしまう――。

 もちろん、第一に優先しなければならないのは、休まなくてはならなくなった社員の健康の問題です。ただ、同時に重視しなければならないのは、その社員が休んだことによる他の職員の疲労や意欲の低下などの二次的な問題を抑えることだと言われています。