上司は、本当に部下の力量と努力を正しく評価できるのか?
一般的に、企業で管理職に昇進して上司になる人といえば、「高い人格を持ち、社員の見本になるほど実務能力に優れていて、職場のマネジメントや部下の育成が得意な人」であると期待されます。
就職したばかりの頃の私の、上司というものに対してこのような期待をいだいていたものです。
しかし、残念ながら、すべての上司や管理職が、高い人格と優れたマネジメント能力を兼ね備えているとは言えないのが企業の現実です。
私はコンサルタントとして、また経営幹部研修や管理職研修の講師として、多くの企業で管理職を見てきましたが、中には「どうしてこんな人が管理職になってしまったのだろう?」「この会社は、カンチガイしている管理職がミスリードしているなぁ」と感じて、首をかしげることが多々あります。
いくら「平等と透明性」の大原則に則った完璧な人事制度を企画設計しても、実際に社員の一人ひとりを評価し査定するのは、職場の管理職の人たちです。つまり、部下の査定は、上司の心づもり一つでどうにでもなってしまいます。
ある企業では、部下を評価する面接で、部下本人に向かって「ボクは君のことが嫌いだから、君に高い査定は付けないよ」と断言した幹部がいました。
「女性社員は年を取るほど価値が下がるから、男性の新入社員より低い査定を付ける」と部内で宣言した部長がいました。
第1回では、自分の部下を、根拠のない「思い込み」と「決めつけ」で評価している上司の例をご紹介しました。
この程度の困った人事考課の事例は、いくらでも挙げられます。
結局のところ、人事評価では、人が人を評価することに限界があるのです。評価する上司が感情を持った生身の人間である限り、どうしてもその判断には、好き嫌い、印象、思い込み、私情、先入観、偏見が入り込みます。
また、誰にでも、自分とよく似た人を「優秀である」「好ましい」と判断する傾向があるので、上司に対してイエスマンとして振る舞い、上司に迎合する態度を取る人の査定が高くなるのは、公然の事実です。
会社という組織で働く以上は、これらの事情を事実として受け入れたうえで、「自分自身はどうするか?」をしっかりと考えて判断しなくてはなりません。
いまの職場にこのまま留まるべきか?自分を高く評価してくれる人を探しに行くべきか?