社長に上がってくる提案は、すべて「妥協の産物」である
「社長に上がってくる提案は、すべて“妥協の産物”である」
これが、このときに学んだメカニズムのひとつです。
たとえば、ある野心的なプロジェクト企画が現場で立ち上がったとしましょう。起案者による最初の青写真(企画書)は、多少の粗はあるものの、革新的で切れ味の鋭い内容でした。しかし、組織において、それがそのままの形で社長に届くことはまずありません。
なぜなら、「革新的な提案」ということは、社内の既存のシステムとは相いれない要素があるということにほかならないからです。当然のことです。既存のシステムとまったく齟齬がないということは、革新的ではないということ。そのような提案を「革新的」というのは語義矛盾なのです。
そして、既存のシステムとは相いれない提案は、必ずさまざまな方面からの抵抗にあいます。これも当然です。それでなくても、各部門はギリギリの人数で既存の仕事を回しているのです。そこにプラスアルファの仕事が生じるわけですから、簡単に認めるわけにはいかない。
しかも、革新的であるということは、「成功するかどうかわからない」ということでもあります。すでに成功している既存事業に重点を置くべきだと考えるのは、至極まっとうな考えなのです。
しかし、その結果、部署間で「調整」が始まります。
企画を実現させるために、各部門からの指摘を企画に反映していくわけです。もちろん、このプロセスは必要不可欠です。当初の企画のなかには、他部門が対応不可能な要素が含まれているかもしれませんし、より現実的なアイデアが生まれることで実現可能性が高まることもあるからです。少なくとも、関係部署が率直に意見を出し合うプロセスを経ることによって、各部署のなかに当時者意識を育まなければ、たとえ企画が承認されても実効性を担保することはできません。だから、部署間で企画を揉むプロセスは絶対に必要なのです。
ところが、ここに社長が注意すべきメカニズムが働きます。
さまざまな調整を経て、当初は革新的で切れ味の鋭い内容だった企画の「カド」が取れ、組織内で波風を立てない、誰からもツッコまれない、「丸まった」ものへと変貌していく。そんな「負の作用」が避けがたく発生するからです。そして、すべての部門が納得できる「妥協の産物」が、社長のもとに届くというわけです。