一瞬の熱を逃してはいけない
はあちゅう それと、本を何冊も書いてきて思ったことですけれど。特にエッセイを書いている時は「今この瞬間の自分には私しか会えないんだ」と、いつも思います。なので、20代の頃に書いた本とか読むと、もう私が持っていない感情がそこにあるんですね。だからその時の感情とか出来事を冷凍保存して、30代40代になっても20代の自分に会えるって、本にしかできないことだと思います。
デジタルだと20代に戻りたいと思っても、あの時のあの記憶ということには戻れるんですけれど、本というのは忘れていたものに偶然出会える感じがあって。
手帳も一緒ですね。ピンポイントで、あの日何をやったかというスケジュールを思い出すためにはGoogleカレンダーを使いますが「何か面白いことあったっけ」と、思い返したりする時は、やっぱり紙の手帳の方が便利だったりして。紙の方がハッとするものに出会える感じがしますね。
秋元 ああその言葉、いただき!
はあちゅう 本当ですか(笑)。
秋元 やっぱりはあちゅうさんって、「それそれ、わかるわかる」っていう言葉を編み出すのがすごい。今ちょっと対談忘れて、普通に感激してました。
はあちゅう 嬉しいです。でもたぶん秋元さんも、5年後とかにご自身の本を読んだら、俺こんなこと書いていたの忘れてたって、絶対感じると思うんですよ。
秋元 確かにそうかもしれない。
はあちゅう すでに、「あれも書けたのに」って書き足したくなったりしていませんか。
秋元 ありますね。
はあちゅう 必ず後から思いつくんですけど、それはその分の自分の進化かなと思うんです。やっぱり書いてる時には気づけなかったことがあるんですよね。例えばさっきおっしゃってたみたいに、自分にとっては当たり前のことだったとしても、言語化する準備ができてなくて、まだ伝える準備ができていなかったんだと思ったりします。世に出てしまった本を書き直したいなと感じたら、次の本に活かそうと思います。
秋元 すぐ次の本に向かうんですね。はあちゅうさんの本にも、「やりたいとかやってみようみたいな情熱は、そのまま置いておいたらすぐなくなっちゃう」と書いてありましたよね。
はあちゅう 「熱狂」は強い分、一瞬しか持たないんです。こうやって著者という立場に立つと、何か掴んだ人のように思われてしまいがちですけれど、でもそれは著者も読者も性質は同じで、熱が去ったものにはもう手をつけたくなくなりますよね。どんなにいいものになると思っても、自分のやる気がついていかないと、そこに手をつけようとは思わないというか。だから本当に書けるものというのは、今しか書けないものなんだなって思います。
秋元 今回の本の「はじめに」で、「本を読みながらこれはいいなとか、ちょっとやってみようかと思ったら、その場で線を引いたり、SNSでメモ代わりに発信してみてください」というようなことを書いたんですが、それは実は、はあちゅうさんの本を読んでインスパイアされて付け加えたんですよね。
はあちゅう 本当ですか、ありがとうございます。
秋元 本を読む時に、これまであまりメモしたりしなかったんですね。でも最初に読んだ時に、これはいいと思った。Twitterで思ったことをその場でつぶやきながら読むというのをやってみたら、自分の頭の中にも残るし、ハッシュタグをつけていたら、自分で検索できるというもすごく大事だと思うし。検索できるから、忘れずに次はこうやってやってみようというふうに具体的に動ける。 一瞬の熱を一瞬で済ませてしまわない工夫というのは、たぶんほんのちょっとの差なんだけれども、それをしている人としていない人って、毎日の差はすごくつくなというのは思いました。
はあちゅう そうですね、積み重ねがやっぱり差を生みますよね。本当にそれは思います。