同じおとぎ話だとしても、
ネットでは違う効果があらわれる
私たちは子どもたちに、おとぎ話を読み聞かせる。その中にはグロテスクな内容のものもある。なぜこの慣習があるのか、神経生物学の視点から考えられる一つの説明は、遊びと発見の経験を通じて、発達中の脳の経路を活性化させるためである。また、おとぎ話には、何世代にもわたって受け継がれてきた、人生に関する重要な文化的メッセージも含まれている。
キャンプファイヤーを囲みながら、子どもたちは怖い話を聞いて背筋の凍る思いをするかもしれないが、すぐに現実の世界(話をしている友人の声かもしれないし、キャンプファイヤーの煙、頭上の星空かもしれない)が、子どもたちに別の世界と人生が待っていることを伝えてくれるのである。しかしそれは、サイバー空間では期待できない。おとぎ話に没入した子どもたちは、それが現実だと信じ込んでしまうおそれがある。
たしかにスレンダーマンの事件は極端な例だが、個人がサイバー空間において、いかに現実世界の感覚を失いうるかを悲劇的な形で描いている。バーチャル世界は本物のように、あるいは本物以上に本物のように感じられる。一方で倫理的な留め金が外れ、善悪の区別を失うおそれがあるのだ。
友人を刺し殺すことで、少女たちはサイバー世界におけるステータスを上げられると考えていた。しかしウィスコンシン州の裁判所で大人と同じように裁判にかけられた後で、彼女らは現実世界において、囚人として服役することになった。
正確に言えば、彼女らは既に顔見知りだったので、オンラインで知り合ったわけではない。しかし、スレンダーマンの熱心な信奉者になるという点で、彼女らは2人そろって、思想を過激化していった。少女が殺人を試みるというのは、非常にまれなケースだ。
彼女らは共に殺人を計画し、そのための話し合いを続ける中で、人を殺すという行為が標準化されていったのである。最終的にガイザーは、裁判所が命じた責任能力鑑定により、早期の統合失調症と診断された。2016年3月、HBOのドキュメンタリー番組「スレンダーマンに気をつけろ」において、ウィスコンシン州の事件と、子どもがいかにインターネットを通じた思想に影響されうるかが検証された。
私にとってこの事件は、インタラクティブなメディアが果たす役割と、統合失調症のような精神病(それは生物学的要因と周囲の環境との間の相互作用の結果として発達する可能性がある)にかかりやすい人々について、より深く考えさせられるものになった。
子どもは周囲の環境により敏感であり、周囲に認められるためには、集団行動に参加しなければならないというプレッシャーを感じている。これにサイバー空間における既知の影響(行動の増幅、エスカレーション、そしてオンライン脱抑制)が組み合わされると、子どもの脆弱性はより高まり、仲間からの圧力はより強まり、そして集団での活動はより過激さを増す。それに従わずにいることは、普通の8~12歳の子どもが持っているよりもずっと大きな自信と自己知識、そして勇気を必要とする。