進むも地獄、退くも地獄のチキンレース

 しかし、自動運転車の普及にはハードルが多い。ただし、それは技術的なハードルではない。特にここで強調したいのは、自動運転車がもたらす世界は、既存の自動車メーカーにとっては経済的なインセンティブが働きにくいという点だ。ポイントは以下の3点だ。

(1)自動運転車は自動車メーカー間の相対的な競争力に変化をもたらす可能性があるものの、付加的な増収には結びつきにくい。
(2)自動運転車(特に完全な自動運転車)の普及がマジョリティを占めるようになると、自動車の販売台数そのものは大きく減少する。
(3)一般乗用よりも当面はタクシーやバスなどの商用需要がメインとなると考えられるが、寡占市場にならない限り、ROIが極めて低い可能性がある。

(1)についてだが、自動車という耐久消費財としての特性上、耐用年数が長く、代替がなかなか進まないということもあるが、そもそも自動車そのものの価格が高いため、これに自動運転機能が付くことで、追加の費用をどれだけマス層が支出しうるか? ということだ。自動運転技術は付加価値ではあるものの、追加の利益がもたらされるというよりも、対応していないメーカーに対する競争優位性という意味合いが大きい。

 次に、(2)については、もし完全自動運転車の普及が進めば、インターネットを通じてマイカーを他人に貸して収入を得られるため、自動車の資産効率は上がるが、いつでも借りられるとなれば車を所有しない人も増えるため、結果的に販売台数は減るという見方だ。

 すなわち、前記のMaaSのコンセプトに代表されるような、すべての自動車が公共交通機関化する、あるいは公共財になる世界。これは、既存の自動車メーカーにとっては存亡に関わる大きな問題だ。

 そして、(3)はまさにUberがいち早く市場を寡占している世界をイメージしている。ネットワーク効果が支配するようなビジネスは、1位企業の寡占になりやすく、今のタクシーやバスなどの公共交通の代替をUberがしてしまえば、他の企業が入り込む余地は少ない。ただしグーグル(Waymo)やマイクロソフトが、Uberの競合Lyftなどを買収して狙うということであれば、経済的な合理性がある。

 自動運転車が普及する時代は、既存の自動車メーカーにとっては、進むも地獄、退くも地獄の世界であることがわかるだろう。

 自動運転車の普及は、絶対的な自動車の販売台数を減らす可能性が極めて高いが、自動車メーカーは他社に先駆けて自社の自動運転車を普及させないと、シェアを奪われジリ貧に陥る。これは、生き残りのためのチキンレースと言っても良い。