誰もやらない新興市場

朝倉:そうした中で、エス・エム・エスが手掛ける高齢化社会のインフラに目をつけたきっかけは、何だったのでしょか?

諸藤:それまで僕自身、秀でたこともなく何も表彰されたこともなかった。だから起業するなら、競争が激しい分野に飛び込んで勝ち抜いていくというより、将来伸びるけど、まだ小さくて、誰もやっていないことのほうが自分に合っていると大学生の時に考えていました。
僕は2000年に大学を卒業したのですが、2000年に介護保険ができて「日本社会は急速に高齢化する」ということは言われていました。だったらシルバービジネスは、立ち上がろうとしているマーケットでまだ小さく、将来伸びるんだけど、今はまだ取り組む人が少ないのではと思い、そこにしようと決めました。
ただ、介護施設はいきなり始めるには厳しいと感じました。介護保険ができたことで、行政の関与が多かったり、実のところ地元の名士じゃないとできなかったり、ファイナンス勝負になったりするかもしれませんでしたので。
そこで、高齢化時代の「情報」に何かチャンスがあるんじゃないか。具体的には、高齢者住宅の流通なら、僕が目標にしていた3億円になる可能性が一番高いんじゃないか。そう思ったんです。

朝倉:最初の起業では、高齢者住宅の紹介をされていたんですよね。

諸藤:高齢者住宅のビジネスの中に、何かしらのエージェント機能が発生するだろうと考えていました。つまり、高齢者住宅に入りたい人と、高齢者住宅を販売したい人を、仲介する、ネットなのか、雑誌なのか、何かでつなぐような業があるんじゃないかと。
2002年に老人ホームの資料請求をしてみて、色々と調べてみたら、高齢者住宅の販売にマーケティングコストがものすごく落ちていることがわかったんです。ここにチャンスがあるだろうと。そのタイミングで、ゴールドクレストを辞めました。
でも、会社を辞めてから、もう一度しっかり調べてみると、2000年に介護保険ができたことで市場のメカニズムが一変していたことがわかりました。2000年に介護保険法ができて以降の住宅であれば、入居費用の9割を保険が負担してくれるのですが、保険制度ができる以前にできた、つまり介護保険を前提としない介護住宅は100%自己負担で料金体系が全く違うため、押し売りをしていたんです。とにかくマーケティング費用をかけて、お客が来たらそのまま入居させるような乱暴な販売の仕方をしていました。つまり、マーケティング費用がかかっている介護住宅のほうが、ユーザーにとっては良くない介護住宅だったんです。マーケットの透明性がない状態をさらに助長する形でしかフィーを得られない状況でした。
これは、さすがに倫理的にやりたくないし、そもそも長く続かないだろうと思いました。スタートしようとして、合資会社も作ったんですけど、スタートすらせず、高齢者住宅の販売事業は1ヵ月で断念したんですね。やはり、独立は甘くはなかったです。