中央集権型から分散型の経済圏へ

 ところで、現在の株式市場に公開することを、IPO(Initial Public Offering/新規株式公開)と呼ぶが、それに対して、仮想通貨の世界にはICO(Initial Coin Offering)と呼ばれるものがある。

 これは資金調達をしたい企業や事業プロジェクトが、独自の仮想通貨を発行・販売することで、資金を調達する手段・プロセスのことを指し、いわば仮想通貨による上場である。

 株式上場をするわけではないから、そもそも監査のための証券会社は不要だし、株式発行や配当すらも不要である。そして注目すべきは、ICOは個人ですら発行が可能ということである。

 これがさらに進んだとき、私たちを待っているのはどのような世界なのだろうか?

 まず、個人でICO発行が可能ということは、あらゆる人が個人レベルで信用を創造することが可能になるということである。

 信用創造とは、銀行が集めた預金を、企業や個人に貸し付けることによって通貨供給量を創造する仕組みを意味する。

 従来の通貨は、かつては金本位制による兌換(だかん)制を取っていたり、現在でも国の安定性が低い場合などにはペッグ制(特定の信用の高い通貨との固定相場制)を取るケースがあるように、基本的には「この国が発行する通貨であるから大丈夫」といった共同幻想による信用に基づいており、仮想通貨もこの点では従来型の通貨に近い。

 しかも、それでいながら、既存の株式のように将来価値を現在価値に変換する仕組みも併せて持ち、かつ銀行に頼らずに個人レベルで信用創造が可能になるということは、個人一人一人がどれだけ「時空を制する」ことによって価値を創出しうるか、ということが何より重要になる世界が待っているということである。

 もちろん、ICOに関しては、一般投資家の保護などを目的として、韓国が2017年に全面規制する法案を公式に発表したほか、米国、カナダ、シンガポールなどでも規制の検討が始まっているように、課題がないわけではない。

 日本では今のところICOは規制されていないのだが、他国の状況を見ている限りでは、今後何かしらの見直しがないとは言えない。

 現時点での想定では、集中型の従来の通貨による経済圏は残りながらも、仮想通貨があたかも一種のコミュニティのような形で並存する形となるだろう。

 日本国民でありながら、ツイッターに入り浸っている人たちをツイッター民などと呼ぶように、一人一人の個人が、様々な経済圏を出たり入ったりするような世界になると考えられる。