「価値創造者」と「価値消費者」の分かれ道
ブロックチェーンはインターネット以上に、すべての主権が個人にもたらされる可能性があるということだ。
個人による信用創造が可能となった社会は、YouTubeやツイッターのようなソーシャルメディアによって、個人がマスメディア以上の情報発信が可能となった社会どころではないインパクトを与える。
なぜならば、経済圏を形成する主役は企業ではなく、個人となり、その経済圏は個々人が属するコミュニティをベースに形成されようになるからだ。
これは、個人にとっては大きなチャンスなのは言うまでもない。しかし、危機でもある。
経済圏を構成する要素として「企業」は、価値を創造する「個人」と同じ舞台に立つことになる。いや、「個人」が「企業」と同じ舞台に立つと言った方が適切かもしれない。
ただし、それは「時空を制する」ことで価値を創造できた者のみに許された資格だ。それには「企業」も「個人」もない。
そういう意味を込めて、上の図では「企業」と「個人」を一体化して「価値創造者」と名付けている。
一方、同じ個人でも、「価値創造者」に時間を搾取され続けるだけの者も、当然存在する。彼らは、「価値創造者」が与えてくれる価値をただ消費するだけといった意味で「価値消費者」と名付けた。
今のディスラプターもまたディスラプトされるかもしれない未来、まず「企業」については「価値創造者」に値しない企業は残念ながら死に絶えるであろう。
これは避けられない未来だ。一方、個人レベルで見れば「価値創造者」も「価値消費者」もいずれも死に絶えるわけではないだろう。
「価値創造者」の椅子と「価値消費者」の椅子のどちらが多いかと言えば、恐らく「価値消費者」の方だろうが、彼らが不幸であるとは必ずしも言えない。
しかし、それはあたかも映画『マトリックス』の培養液に浸された人間のような存在とも言えるかもしれない。そんな人生をどう考えるかは、その人次第だ。
読者は「価値創造者」と「価値消費者」のどちらの道を歩みたいだろうか?
(この原稿は書籍『破壊――新旧激突時代を生き抜く生存戦略』から一部を抜粋・加筆して掲載しています)