これに対し、保育所に関しては自治体、民間企業などによる取り組みがあったものの、戦前は法令が定められず、むしろ幼稚園を中心とした一元化に否定的だったそうです。その背景には、文部省(現文部科学省)と内務省(現厚生労働省)の対立、幼稚園に取り込まれるのではないかという保育業界サイドの反発、実態面の違いがあったと指摘しています(『日本の保育の歴史』)。

 その後、戦時期に「戦時託児所」と呼ばれた簡易的な保育施設が多く設けられます。その様子については、海軍省の後援を受けた1943年製作の『決戦の大空へ』という映画に垣間見えます。

 映画の舞台は「海軍飛行予科練習生」(予科練)。これは戦闘機のパイロットを育成するため、海軍が茨城県に設置した訓練所で、主人公の村松杉枝(原節子)の実家は、休暇中の予科練生を受け入れる「倶楽部」に指定されています。

 杉枝は東京の学校を卒業した後、帰郷するのですが、元気がない弟の克郎を勇気づけるため、「私が気楽なお嬢さん暮らしをしてたら、何にもならないと思いますの」として勤めに出ます。そして杉枝が選んだ勤め先は「東亜製作所土浦工場附属託児所」でした。託児所の様子はほとんど映画に出てきませんが、戦局の悪化に伴って女性の勤労動員が増える中、会社が女性従業員用に子どもを預ける場所を設置したのかもしれません。

 その後、敗戦と民主化改革を経て、1947年に学校教育法と児童福祉法が制定され、幼稚園は前者、保育所は後者に位置づけられます。その際に、「保育に欠ける」という規定が児童福祉法に盛り込まれたのです。

融合が進む幼稚園と保育所
根強い「子育て=女性」の意識

 しかし、幼稚園と保育所は少しずつ融合しつつあります。両者を相乗りさせた「認定こども園」が小泉純一郎内閣時にスタートし、民主党政権期の法改正で「保育に欠けるもの」を、「保育を必要とするもの」とする法改正もなされました。さらに会社が設置する「事業所内保育施設」などさまざまなタイプの制度が作られています。その意味では歩みは遅いかもしれませんが、制度改正は進んでいるといえます。

 むしろ、問題なのは人々の意識ではないでしょうか。「保育園落ちた 日本死ね!!!」のブログなど、子育てについて何か出来事が起きると、「母親の責任をどう考えるのか」「家庭で最初に面倒を見ろ」といった意見を目にするので、「子育ては家族(主に女性)が一義的に担うべきこと。保育所は例外的な扱い」と考えている人が多い表れなのかもしれません。