ビジネスの成否は「交渉力」にかかっている。アメリカの雑誌で「世界で最も恐れられる法律事務所」に4度も選ばれた法律事務所の東京オフィス代表であるライアン・ゴールドスティン米国弁護士に、『交渉の武器』(ダイヤモンド社)という書籍にまとめていただいた。本連載では、書籍から抜粋しながら、NTTドコモ、三菱電機、東レ、丸紅などの代理人を務めるほか、世界的に注目を集めるビジネス訴訟で戦っているライアン弁護士の交渉の「奥義」を公開する。

「感情」が目的を見失わせる

 交渉とは、「自分の目的」を達成するための手段である──。
 これが、私の定義である。

 だから、交渉に臨むときに最も重要なのは、「自分の目的」を明確にしておくことだ。その交渉で、絶対に得たいものは何か?それをはっきりさせなければ、交渉戦略・交渉戦術を打ち立てることができない。「自分の目的」を明確にすることが、交渉のスタートラインなのだ。当たり前のことと思われるかもしれないが、これが実際にはなかなか難しい。

 その邪魔をするのが「感情」だ。
 交渉とは、当事者間でなんらかの利害対立があるから行われるものであるため、そこに強い感情が生じているケースが非常に多い。その感情が理性を曇らせて、合理的に「自分の目的」を見極める力を奪ってしまうのだ。ネガティブな感情を解消することを目的化してしまい、本当に大切にすべき目的を見失ってしまうと言ってもいいだろう。

 典型的なのが離婚交渉だ。
 何度か知人から個人的に相談を受けたことがあるが、長年にわたって積もり積もった不満が爆発しているのだろう、「親権さえとれたら、お金も何もいらない。とにかくはやく別れたい」と訴える人が多い。「はやく別れる」ことが目的になってしまっているのだ。

 しかし、離婚が避けられないのであれば、ほんとうに大切なのは、離婚後に子どもと幸せに暮らす経済基盤を確保することである。一時の感情に身を任せて「はやく別れる」ことを優先すれば、10年後、20年後に必ず後悔する。慰謝料や養育費などの問題についてしっかりと交渉する必要があるのだ。

 だから、私が真っ先にするのは相手の感情をなだめること。そして、「子どもと幸せに暮らすためには何が大事?」「養育費はどうする?」などの問題について冷静な頭で考えてもらうように促すのだ。

 これは、ビジネスでもよくあることだ。
 弁護士である私に持ち込まれてくる案件は、何らかのトラブルにかかわるものだからなおさらだ。取引先の契約不履行に怒りを覚えていたり、多額の損害賠償請求を突きつけられてうろたえていたり、さまざまなケースがあるが、強い感情の影響下に置かれていることが多い。

 そして、その感情が交渉の目的を見失わせる。
 たとえば、本来、取引先に契約履行させるのが目的であるはずなのに、怒りにとらわれるあまり、むやみに懲罰的・報復的な要求を突きつけてしまう。その結果、取引先も態度を硬化させ、交渉が暗礁に乗り上げてしまうのだ。

 あるいは、多額の損害賠償請求をされたときには、その請求が妥当かどうかを検証したうえで、できるだけ請求額を下げることが目的であるはずだ。しかし、恐怖心が先に立って、コトをこれ以上荒立てないことが目的になってしまうことがある。その結果、自ら不利な状況を生み出してしまうのだ。