「決断をしない」が
いちばんよくない
政治家がリスクを負わず、安定した行政運営をしているように見せる方法がひとつだけあります。それは「何もしない」ことです。
逆に言うと「何かをする」つまり「仕事をする」ということは、現状を改善しようとすること、変化を促そうとすることに他なりません。
それは8割の人が喜んでも、2割の人が嫌だと思うことかもしれない。「ほとんどの人」に喜ばれることはあっても、「全員」が喜ぶ、「全員」に好かれる完璧な施策などというものはありません。
また、30年前には妥当であった施策も、時代が進めば社会環境も変化し、市民から求められるニーズも変わります。当然、行政施策も時代に合わせてアップデートが必要です。時代とともに施策の優先順位も変わりますし、たとえば、創設当時は必要だった補助金も減額、もしくは廃止することが妥当なケースも出てきます。とくにこのような決断は、補助金の交付を受けていた当事者からは大きな反発を買います。
何かを行なうと、その結果に納得した多くの方は「サイレントマジョリティー」になりますが、納得できない人は大きく声を上げることになります。もちろんマスコミが取り上げるのは納得できない人の声ですから、何もしないほうが一見、「失点がない」ように見えるのです。
チャレンジする首長より、表敬訪問の記念写真を撮ったり、地域の会合があると聞けば足を運んであいさつばかりしている首長のほうが「失点がない」「安定感」と評価されるのが多くの地域での現実でもあります。
まちづくりで「絶対にこっちのほうがいい」という完璧な案があるのであれば、政治も行政も必要ありません。現実にはそんなことはありえない。よって、リーダーができるだけ早く「全体がよくなる」ための決断をすることが必要なのです。
そして、その決断によって起きるデメリットへの対応に、すみやかに残った時間を使っていくのです。「決断をしない」というのがいちばんよくないのです。
放っておいても経済が右肩上がりで豊かになっていく時代であれば、何もしない市長、何もしない経営者でもよかったのかもしれません。しかし、少子高齢化や産業構造の大きな変化で、今は放っておいたら沈んでいく状況なのです。
どういうリーダーを選ぶかはそれぞれの地域の市民に委ねられています。自分の街はどんどん元気がなくなっていく、と嘆く市民ほど、実は前回の選挙でこれまでと同じ人に投票しているのではないでしょうか。だとすれば、結局、市民自身が街の流れを変えようとしていないと言えるのかもしれません。