弱点をパワーに変える"奥の手”
あるいは、自分の弱点を利用してパワーをつくることもできる。
たとえば、会社の資金繰りが悪化して、借金の返済が滞っているとする。債権者からは強く返済を求められているが、相手の要求通りに返済する余力はない。そこで、分割返済を提案するが、それも受け入れてもらえない。今すぐ返済しなければ、法的措置に出ると一歩も引かない……。
このような場合に活路を見出すためには、こう開き直るほかないだろう。
「もしも、強制的に債権を回収するなら、私たちは倒産するほかない。そうなれば、御社が回収できるお金はわずかなものだ。分割払いに応じてくれれば、必ず、利息をつけて全額を返済する」
いわば、"奥の手”のようなものだが、相手の強気な姿勢を押しとどめるだけのパワーがあるのも事実だろう。決して褒められた手段とは言えないが、絶体絶命の窮地に立たされたときには、使えるものはなんでも使う覚悟で交渉にあたるべきだと、私は考える。
その意味で、勝海舟は凄味がある。
ご存じのとおり、彼は、明治新政府軍による江戸城総攻撃を食い止めるべく、西郷隆盛との交渉に臨んだ。圧倒的な武力を誇る新政府軍を相手にするのだから、立場は極めて弱い。まさに、絶体絶命の局面だ。
このとき、彼は驚くべき策略を用意していたという。幕府側としてぎりぎりの譲歩を示したうえで、それでも交渉が決裂して新政府軍が江戸城総攻撃に移ろうとしたときには、江戸市街に火を放ち、焦土と化す準備をしていたというのだ。
そのために、懇意にしていた火消したちに、交渉決裂の知らせがあったら江戸中に火を放つよう指示するとともに、船頭たちに頼んで避難民をできるだけ救出する手立てを講じていたらしい。
幸いなことに、交渉は成立し、無血開城となった。しかし、私は想像する。もしも、西郷が交渉決裂を宣告して席を立とうとしたときに、勝が、この策略を囁いたらどうなっただろうか、と。
江戸中が火の海になれば、新政府軍は進軍を阻まれることになるが、それ以上に深刻な事態を引き起こす。首都である江戸が焦土と化せば、植民地化を虎視眈々と狙う欧米列強の思うツボとなる。それは、西郷自身が最も避けたいことであったはずだ。であれば、勝の策略は、西郷の判断を押しとどめるに十分なパワーを備えていたに違いない。
勝はビッグマウスだったというから、これは史実ではないのかもしれない。
それに、戦争とビジネスを同列に語ることはできない。しかし、もしも本当にこのような策略を準備していたとすれば、実にすごいことだと思う。いや、ここから、私たちは学ぶべきだ。圧倒的に弱い立場に立たされて、絶体絶命の局面を迎えたとしても、相手の攻勢を押しとどめるパワーをつくり出すことはできる。交渉を最後の最後まで、あきらめてはならないのだ。