相談に来る多くの親は、「[2]学校に行きたいのに、起きられないと言っている場合のほうがマシだ」だと感じるようです。
子どもは学校には行きたがっているけれど、体の調子が悪くて、目が覚めない。それで登校できないのだ、と考えている。気持ちの問題ではなく、体の問題なのだ。本人のせいではないから、まだマシだ、ということのようです。
[1]の場合、体は問題がないのに、本人が怠けて、もしくは何かの理由で嫌がって行かないのだから本人のせいだ。だからよくない。
多くの親は、そう思っているようです。
しかし、子どもの不登校の相談を長く続けている私の考えは、逆です。
面接のはじめに、子どもがどのくらいしんどいか、どのくらい元気がなくなっているかを、親から聞く子どもの様子で推測します。これを「見立てる」といいます。「見通しを立てる」ということです。
子どもが「行きたくない」と言っている場合には、エネルギーはそれほど失われていないか、もしくは親に対して「しんどい」と正直な気持ちを話せる関係がある、と推測できます。
ある意味、子どもが親の力を信頼している状態です。
このような場合は、親に対して子どもへの接し方をアドバイスすると、多くの場合、問題は解決していきます。
ここでいう「解決」とは、単に子どもが再登校することではありません。
たとえば、クラスメートや教員からのいじめにあっているような場合には、再登校はむしろ危険です。ここでの「解決」とは、たとえば、親が味方になってくれて、子どもが安心して次の居場所や進む方向を探し始めるというような場合も含みます。
これに対して、子どもが「行きたいのに、起きられない」と言っている場合は、簡単ではありません。中には純粋な身体の問題、病気の場合もあるでしょう。
しかし、それはかなり、まれです。
多くのケースで、子どもは頭では「行かねばならない」と思っています。でも、体は、心は、それを拒否している。「行きたくない」と主張できる子の場合と比べて、行きたいのに行けない子は、親を気遣っていたり、心配をかけたくないと思っているケースもあります。もしくは、両親の不仲や親の介護などで、心配をかけられないという場合もよくあります。
そのような状況では、「行きたいのに行けない」ようになるまでに、すでに子どもはかなり長い期間がんばって、力を振り絞って学校に通っており、心身ともに疲れ切ってしまっているケースもあります。
そういうときは、子どものエネルギーの回復をまず第一に考え、安心して家ですごせるようにすることで、子どもはまた動き始められるようになる場合が多いことを、相談に来た親には説明します。
でも、そう親に伝えると、
「じゃあ、うちの子どもが起きられないのは、私のせいだと言うのですか!」
そう言ってショックを受ける方がとても多いので、ここではっきりと述べておきます。
すべてが親のせいだというつもりはありません。原因はいくつもあることが普通であり、それを特定することは、多くの場合、かなり困難です。
担任の暴言がひどいことが明らかでも、クラスの大半の子は登校できている場合に、ただ担任の態度を改めさせるような働きかけをしていては、親も子どもも、ますます疲弊していきます。
親のせいかどうかは関係ないのです。原因が何であれ、親にできることは、家で安心してすごさせること。そうすることで、子どもは愚痴を言ったり、弱音を吐いたり、親に甘えることができるようになります。
正直な気持ちを親に話せることや、安心できる場所でリラックスしてすごすことで、子どもは元気を回復します。
そうすれば、しんどくなった原因がわからなくても、子どもは自分から動き始めるのです。
子どもが学校に行きづらくなった場合に、目の前の問題をなかったことにしようとするかのように、「なんとかして再登校させよう」とするのではなく、ただやさしく接する。子どもが動き始めるのを「楽しみに待つ」。
そういう向き合い方もあると知っておくと、育児を楽しむことや、心のゆとりにつながります。