拘置所でみた若い受刑者の風景から
「手が届いていない人を応援したい」

――お二人にとっての「Lean In」、一歩踏み出していること、これから一歩踏み出したいこととは何ですか?

村木 拘置所の中で、いわゆる受刑者の人たちを見てきた経験から、「若草プロジェクト」と「共生社会を創る愛の基金」という二つのプロジェクトを立ち上げまして。本当に若いかわいい女の子たちが刑務所の中にいるのがすごいショックで。尋ねてみたら、薬物とか売春とか、そういう社会の縮図みたいな経験をしてきている。それに、男女問わずなんですが、障がい者で犯罪に結びついてしまった人もいる。結局、社会の中では厳しいから、逃げ込む場所が刑務所だったっていうような人たちが結構いることに気がついて。その人たちの支援をやろうっていうことで、今、手が届いていない人たちの支援を始めたところです。

 で、自分自身で、もう一つやらなきゃいけないことがあって。この対談の壇上に登って椅子に座る時も思いましたけど、「人生100年時代」で100歳まで生きるつもりなら、もうちょっと自分の気力、体力(笑)、健康状態をちゃんとしなきゃって。まぁ、80までなのか90までなのか、とにかくどういうふうにすると長い人生を楽しく生きられるかっていうところを、それこそ体験取材しながら(笑)、そのレポートを発信できたらいいなぁと。そんなことを思っています。

 鈴木さん、私は夫と共に、会社を辞めて、まさに新しい踏み出しをしたところでして。夫はパナソニックを昨年12月に辞め、同じ月に私は日本テレビを辞めて。今は、「Wニート夫婦」っていう、なんだか分からない状況で(笑)。今は日本縦断の旅をしていて、一昨日、岡山から帰ってきてこのイベントに参加して、明日は徳島にまた飛んで、日本の旅の継続をするんです。5月からは世界一周の旅に出ます。視察なのか、取材なのか、旅なのか。とにかく、「踏み出して」次を見据えた準備をしているような状況です。

 まぁ、はっきり言って、会社を辞めたこと自体も、私にとってはすごく挑戦でもあって。小学生のときから目指してきた業界ですから、名残惜しくもあります。日本テレビを辞めるということは、結構いいお給料を定期的に貰っていたのが急になくなるということでもあるし、その肩書もなくなるし。決断の前は、すごく悩みました。

 でも、会社勤めと並行して「マギーズ東京」っていう、がん患者さんとご家族が無料で何でも相談できるセンターを運営していて、もっと広い社会課題の風景も見えてきたんですね。「認知症の家族なんですけど、マギーズに行っちゃだめですか」とか、「うつだったらだめですか」とか。オープンしてから2年半が過ぎて、ここ1年ぐらいはがん以外の人たちからも、相談に乗ってもらいたいというニーズがいろいろ聞こえてきて。私が本当に伝えたいことは、テレビ局にいなくても伝えられるなと思うようになって。「マギーズ東京」も発展していかなきゃいけないし、ここで蓄えた経験をそれを生かして、自分らしい形で、「次に何ができるか」。それを模索するための旅でもあるんです。