「働き方改革」は
小泉政権期に始めるべきだった

 平成の時代は、高度経済成長期とは真逆の「少子高齢化社会」の到来への対応に悩まされた時代でもあった。それは、先進国共通の課題でもあったが、日本が取り組んだ政策は、海外からみれば遅すぎて、中途半端であったといえる。

 例えば、「働き方改革」である。2017年、安倍首相が第1次政権時から挑んできた、年収が高い一部の専門職を労働時間の規制から完全に外す「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」を含む「働き方改革関連法」が成立した。

「裁量労働制」は、いまだに左派を中心に反対論が強い。「働き過ぎを助長する」「適用範囲がなし崩し的に拡大される」「24時間働けと命令される」「徹夜しないと終わらない業務を与えられる」「過労死を認定できなくなる。使用者の責任も問えない」というのだが、まったくのピント外れな批判だ。

 本来、「裁量労働制」とは、自由にやりたい時間に仕事をして高い成果を出すという仕事の「質」を高めるためのものだ。これに対して、日本の裁量労働制に対する批判は「長時間労働や過労死を招く」という仕事の「量」を問うもので、問題の捉え方が本質的に間違っている。

 日本で長時間労働や過労死が問題になるのは、「裁量労働制」のせいではない。雇用者・労働者間の契約が曖昧な、「日本型雇用システム」だからだ。電通の若手社員の自殺事件のような、「ブラック企業」の問題や、派遣労働者が奴隷のような扱いを受ける問題は、曖昧な雇用者・労働者の契約関係から生じているのだ(第148回)。

 一方、「裁量労働制」は、欧米では珍しくない雇用形態だが、欧米で「長時間労働や過労死」が問題視されることはない。欧米では「裁量労働制」を導入しながら「長時間労働」が起きない。それは、雇用者・労働者間で、明確な報酬・労働条件を合意した契約関係が結ばれる雇用制度だからだ。