そうなると、教師の役割も変わってきます。集合教育に価値があるという話もわかりますが、先生の話を聞く授業に関しては、エースの先生が優れたコンテンツを提供する「遠隔授業」でもいいのではないかと思います。もちろん、進度は子どもによって違うので、それをサポートする必要はあります。ただ、毎日学校に行かなくてもいいのではないかという議論は、当然出てくるでしょう。最先端の授業がネットワークで受けられるのであれば、少なくとも、高校生が週に5日、必ず教室に行く必要はなくなると思います。

 これが現実となったとき、5Gという「場所を問わないインフラ」が必要になります。今のネットワークでも教育のデジタル化は不可能ではありません。しかし、ある人は無線LANでつなぎ、別の人はキャリアでつなぎ、スピードがバラバラになってしまうようでは問題です。学校のようにさまざまな人が集まる社会で、隙なく、漏れなくサービスを提供するには5Gが向いています。

物がネットワークにつながることで
「正直者が馬鹿を見ない」世の中に

――話を一消費者の視点に戻します。生活にかかるコストの面で、何か変化はみられるのでしょうか。

 通信費が上がる可能性はあります。もちろん、5Gは4Gに比べると伝送容量は増えます。データ量あたりの料金は下がるので、コストパフォーマンスは良くなるでしょう。2G、3Gの時代からそうであったように、技術が進歩すれば今の標準サービスのコストは必ず下がります。単純明快です。

 一方で、5Gの時代には、新しいサービスもどんどん出てきます。今までネットワークにつながっていなかったものも、つながるようになる。その結果として、合計コストが上がるという可能性もあるでしょう。

 ただ、機械や物がネットワークにつながっているからといって、消費者に大きなコストが転嫁されることはないでしょう。基本的には商品側がカバーするシナリオです。むしろ、ネットワークにつながっているからこそ、安くサービスを受けられることも増えてくるはずです。

 例えば、生命保険。体重計がネットワークにつながっていれば、いつでも自分の健康状態を瞬時に保険会社と共有することができます。普段から摂生していて健康的な人は保険料が下がり、不摂生な人は保険料が上がる。平均値に合わせて料金が決まるよりも、合理的な仕組みです。

 本来、リスクの少ない人がより高いサービスを受けるべきだし、リスクが高い人は高い料金を払うべきです。ネットワークにつながっているなんて監視されているみたいで嫌だという声もありますが、正直者が馬鹿を見ないための仕組みだともいえませんか。