新しいスタイルへの適応能力が
10年後の日本社会を左右する
――最近は「つながる社会」への不安の声も聞こえてきます。そうした不安の声を受けてデータ弱者を守ることも必要ですが、その一方で収集されるデータが充実したサービスの資源になるのも事実です。どのように両者のバランスをとるべきだとお考えですか。
GDPRに代表されるように、データを侵されることが基本的人権の棄損につながるという考えは正しいといえます。しかし一方で、中国のようにデータを社会全体で活用していくことにも非常に大きなメリットがあります。データは資源であると同時に公共財です。「私が動いた」というのは個人情報ですが、「A地点からB地点まで何人が動いた」というのは都市が活用すべきデータです。
プライバシーに干渉しない施策を検討して実施すべきですが、今は、検討すら許さない風潮があるように思います。それには私自身、強い違和感があります。
――どういうことでしょう。
プライバシーを守りたいというか、今の社会を変えたくないという抵抗なのかなと。もちろん本当にプライバシーの問題で困っている人は助けるべきです。しかし、現状は「よくわからないからやりたくない」という意識のほうが、プライバシーより根深い問題だと感じています。権利はわかります。ただ、社会全体の調和も考える必要がある。日本は少子高齢化社会ですから、積極的に5Gというインフラを使っていくべきです。
今の基礎技術の状況からすれば、働き方の変化や自動運転を前提にしようとする動きは2025~30年には当然のように出てくるでしょう。リテラシーの差により、ITの恩恵を受けられないデジタルデバイドの問題がありました。5Gの時代は、リテラシーはそれほど問題ではない。むしろ、新しい仕事のやり方や社会の変化に適応できる能力のほうが重要になると思います。