『最大多数の最大幸福』はベンサムの言葉ではない
「まずそもそも功利主義は、ベンサムの発明品ではない。さっき話したように、大本のアイデアは別の人の本に書かれていたものであったし、有名な『最大多数の最大幸福』という用語も実はイタリアのベッカリアという人が書いた本から取ってきたものにすぎない」
え、そうなんだ。なんとなくベンサムが功利主義の考案者ってイメージで話を聞いてたけど、実は、ぜんぶ借り物の考え方だったんだ。
「しかし、実際には、功利主義の祖と言えば、必ずベンサムの名前があげられる。なぜか?
それは、ベンサムが狂気的とも言えるほど功利主義を貫き通した人間であったからだ。キミたちも覚えておいてほしい。歴史に名を残す偉大な哲学者、思想家というのは、単純に『最初にそれを言い出した人』なのではない。そもそも人類の歴史は長い。どんな画期的な思想だろうと、それを先に考え出した人は案外いたりするものである。しかし、そこで歴史に名が残るかどうかは、その人がその思想にどれだけ入れ込み、どれだけ人生を捧げたかにかかっていると言える」
僕は、目線だけでちらりと千幸の顔を見た。千幸は、普段からハッピーポイントの合計値が高くなる行動が正義だと主張しており、明らかに功利主義に偏った考え方をしている。別に千幸が偉人だとは思わないが、ベンサムもこんなふうに幸福度の量がどうとか普段から周囲にふれまわっていたのだろうか。
「おおよそ哲学者は変わった者が多いのだが、ベンサムもかなりの変わり者であった。彼は広い庭のある自分の屋敷に引きこもり、ほとんど人と会わず囚人のような生活をしていた。功利主義……最大多数の最大幸福の提唱者というイメージからは、多くの人を幸福にするため積極的に人と会う活動家みたいな人物像が思い浮かぶかもしれないが、どうもそういう人ではなかったらしい。ちなみに、生涯独身だった彼は、独りで功利主義の概念について黙々と考え、アイデアが思いつくたびにそのメモを部屋のカーテンに次々と貼りつけていく、そんな癖があったようだ」
うわ、ぶつぶつ言いながら壁一面にアイドルの写真を貼りつけて、独りで満悦しているアブない引きこもりの映像が浮かんできたぞ。さっきまでの偉人のイメージが台無しだ。
「ところで、ここでキミたちに問いかけたい。幸福の量が多くなることが正義だと功利主義は主張するが、その量はどうやって計算するのだろう? そもそも、そんなことが可能なのだろうか?」
それは僕も気になっていた。なんとなく歴史上の偉い人が言っているということでスルーしてきたけど、そんな簡単に幸福度なんて計算できるものなのだろうか?
「はっきり言ってしまえばできない。いや、できるわけがないと言ってもよいだろう。幸福なんて定義も曖昧で、人それぞれのものだ。そんなもの測れるわけがないし、ましてや、客観的な数値に置き換えることなんてできるわけがない―と、普通の人ならそう考えるところだろうな。だが、ベンサムは違った」
「彼はそれができると考え、本来不可能なはずの『幸福度の測定』に異常な関心を示し、その方法の追究に文字通り人生のすべてを捧げたのだ」
次回に続く。