王様の腕を折るか、2人の奴隷の腕を折るか

「そもそも功利主義は、平等の正義をもっとも体現する公平な考え方とされているが、それはなぜなのか? 功利主義に関するベンサムの次の言葉を引用するとわかりやすいだろう」

『誰であろうとひとり以上には数えない』

「さあ、どうだろうか。功利主義の肝は、人間の幸福や不幸の量を測り、その合計値を高めることであるが、そのときにもっとも重要なポイントがこれだ」

「つまり、王様だろうと貴族だろうと平民だろうと奴隷だろうと、ひとりの人間として数え、その幸福や不幸の量を同じものとして扱うということ。王様だからと言って『腕の骨が折れる不幸が奴隷の100人分だ』などと不平等な換算はしない」

「だから、仮に、王様の腕を折るか、2人の奴隷の腕を折るかの選択肢しかないならば、功利主義者は喜んで王様の腕を折る方を選ぶだろう。なぜなら、王様だろうと奴隷だろうと、人間を絶対にひとり以上には数えないからだ。これは、彼が生まれた1700年代、18世紀という時代で考えれば、とてつもなく平等で革新的な考え方ではないだろうか」

 18世紀って、たしか奴隷貿易が当たり前にされていた時代だったよな。日本だと、黒船がくる前の江戸時代か……。うわ、思いきり、武士や将軍様がいた時代か。そんな時代に、武士も将軍も農民も町民も同じひとりとして幸福の量を数えて誰も特別扱いしないって、結構ありえないくらい先進的な思想だったんじゃないだろうか。そう考えると、ベンサムってすごく偉い人だったんだな。そして、なるほど、その意味では、功利主義はたしかにこれ以上ないくらい平等な考え方だと思う。

「だが一方で、我々はベンサムの狂気……、功利主義に偏った人間の狂気を忘れてはならない」

 狂気? ずいぶん不穏な単語が出てきたな。