重要な局面ほど予測は外れる

 予測などしても仕方がない、と指摘する2つ目のシンプルな理由を指摘しましょう。なぜなら「重要な局面で予測は必ず外れる」からです。

 たとえば近年の典型例が2008年に発生した世界金融危機です。サブプライムローンの問題が誰の目にも明らかになったのは2007年夏のことでしたが、ここではその直前に提出された金融機関・シンクタンクの予測を振り返ってみましょう。

【IMF(国際通貨基金)(2006年4月発表)】
 先ごろの金融市場の一時的な混乱にもかかわらず、世界経済は2007年、2008年にかけて依然、高い成長を維持すると見られる。米国経済は以前予想されたより鈍化しているものの他国への波及は限定的で、世界経済は持続的に成長していくと考えられる(*5)。

【第一生命経済研究所(2007年5月発表)】
 足元で景気減速を示唆する経済指標も増えているが、こうした景気減速は軽微なものに留まり、景気の回復基調は崩れない。海外景気の減速やIT部門の調整は軽微なものに留まるとみられることに加え、設備投資も若干減速するものの底堅く推移する(*6)。

【三菱UFJリサーチ&コンサルティング(2007年5月発表)】
 輸出や個人消費の拡大が成長に寄与する一方で、内需の柱の一つである設備投資が前期比マイナス0.9%と5四半期ぶりに減少した。(中略)しかし、今年後半になると景気は再び加速してくる。米国経済の減速が一巡して日本からの輸出にプラスに働く。デジタル関連財の在庫調整に目処がつき生産が拡大してくる(*7)。

 まあこれくらいでやめておきましょうか。要するにどこも言っていることは同じで「ここ数年続いていた景気拡大が、この後も続くよ」と言っているわけです。

 しかし、金融危機は2007年夏のサブプライムローン問題に端を発しています。つまり多くのシンクタンクや金融機関は、その直前の時期、まさに足元がガラガラと崩れつつある状況にあってなお「まあ大丈夫だろう」という予測を出していた、ということです。

 こういうことを私たちは歴史上、何度も経験しているにもかかわらず、相も変わらずに「予測」を求める人たちが後を絶たないのは一体どういうことなのでしょうか?

 現在は過去と比較しても予測が難しいVUCAの時代に入りつつあります。このような時代に至って、いまだに「予測」をもとにして自分の行動を決しようとするオールドタイプのアクションは、必ず環境変化に対して「先を取られる」かたちとなり、さまざまなアクションは後手後手に回ることになります。

 一方で、そのような環境変化を「先を取って」仕掛けるニュータイプは、先手先手にイニシアチブを取って融通無碍に社会を運動し、より有利に物事を運んでいくことになるでしょう。

 忘れてはならないのは、私たちを取り巻く環境の変化の多くは、天気のように自然に変わっているのではなく、どこかの誰かがイニシアチブを取って動き始めたことで駆動されている、ということです。

「未来予測」は原理的に不可能
――人口予測さえ外れる理由

 私自身も戦略コンサルティング会社にいた時分、随分と「未来予測」のプロジェクトには関わりましたが、この「未来を予測する」という行為には本質的なパラドックスが内包されていると常々思っていました。

 というのも、予測というのはもともと「予測し得ないようなこと」が起きると大変困るからこそやるわけですね。ここ数年のあいだ続いている状況の延長線上に未来があるのであれば、誰も予測など必要としません。

 しかし当たり前のことですが、「予測し得ないようなこと」は予測できません。だって予測できたら、それはすでに「予測し得ないようなこと」ではないわけですから。

 経営における未来予測では、いわゆる「シナリオプランニング」の手法が用いられます。これは「過去に起こった最悪の出来事」に着目して「ワースト・ケース・シナリオ=最悪のシナリオ」を作成し、そのシナリオを用いて将来のリスクを試算するという未来予測の手法です。いわゆる「ストレス・テスト」と呼ばれる手法ですが、ここまで読んで、このやり方には「本質的な矛盾」が含まれていることに気づきますか?

 そう、過去に起きた「最悪の出来事」というのは、それが起きた時点において、当時の「最悪の出来事」よりもさらに悪い、未曾有の出来事だったということです。

 いろいろと書いてきましたが、つまり「予測は難しい」どころの話ではなく、そもそも「原理的に不可能だ」ということです。同様の指摘をしているのが『ブラックスワン』『反脆弱性』などの世界的ベストセラーで知られる思想家のナシーム・ニコラス・タレブです。抜粋を引きましょう。

「パネリストのひとりに、当時大手国際機関の副専務理事を務めていた加藤隆俊という人物が座っていた。彼はパネル・ディスカッションの前、彼と彼の部署の2010年、2011年、2012年、2013年、2014年の経済予測を示す簡単なパワーポイント・プレゼンテーションを実施した。

(中略)この場合、(危機の起こった)2008年と2009年の2~5年前、つまり2004年、2005年、2006年、2007年にどんな予測をしていたかを訊ねるのだ。そうすれば、尊敬すべきカトウサンや彼の同僚たちが、控えめに言っても予測があんまり得意でないことが証明されるはずだ。それは加藤氏だけではない。政治や経済のまれな事象を予測することにかけては、私たちの成績は0点に近いどころではない。0点なのだ。」――ナシーム・ニコラス・タレブ『反脆弱性[上]』

 予測が不可能だというのは、何も今に始まった話ではありません。たとえば、昨今の日本では少子化による人口減少の予測が危機感をもって議論されていますが、他国における過去の少子化による人口減少の予測は、これまでほとんどが外れたということをご存知でしょうか?

 たとえばイギリスでは20世紀初頭に出生率が大きく低下した時期があり、政府や研究機関はさまざまな前提をおいて人口予測を作成しました。彼らが作成した17パターンの人口予測を現在振り返ってみると、そのうち14は人口減少を予測していて完全に外れ、残る3つも人口増を予測したものの、その増加は実際の人口増をはるかに下回るものでしかありませんでした。

 結果から言えば、政府やシンクタンクがまとめた17の人口予測をはるかに上回って人口は増加した、というのが20世紀初頭のイギリスのケースです。

 また、アメリカの出生率も1920年代に低下し始めて1930年代まで下がり続けました。この事態を受けて1935年に発表された人口予測では、1965年にはアメリカの人口は3分の2まで減少するだろうと予測されましたが、この結果も大きく外れています。

 第二次世界大戦が始まると急に結婚率が高まり、それにつれて出生率も大幅に上昇した結果、1965年には人口が減るどころではなく、逆にベビーブームが到来したわけです。

 人口動態のように統計がしっかりと整備されていて比較的未来予測がやりやすい分野においてもこのザマなのですから、これが他分野になると目も当てられません。典型例がコンサルティング会社やシンクタンクなどが行っている「未来予測」です。

 1982年、当時全米最大の電話会社だったAT&Tは、コンサルティング会社のマッキンゼー&カンパニーに対して「2000年時点での携帯電話の市場規模を予測してほしい」と依頼しました。この依頼に対してマッキンゼーが最終的に示した回答は「90万台」というものでしたが、この予測は完全に外れ、結果的に市場規模は軽く1億台を突破しました。

 この悲惨なアドバイスに基づき、1984年、当時AT&Tの社長だったブラウンCEOは携帯電話事業を売却するという致命的な経営判断を行い、以後AT&Tはモバイル化の流れに乗り遅れて経営的に行き詰まり、最終的には自ら切り離したかつてのグループ企業であるSBCに買収され、消滅するという皮肉な最後を迎えます(*8)。

 莫大な調査費用をかけ、超一流のリサーチャーを使って行われた予測だったはずですが、文字通り「桁外れ」で予測を外しているわけです。コンサルティング会社には守秘義務があるので、こういった悲惨なプロジェクトが公になることはなかなかありませんが、業界に長くいた私からすれば、こういう悲劇(喜劇?)は「しょっちゅう起きている」という印象があります。

 これはなにも、コンサルティング会社の能力や予測モデルに問題がある、ということではなく、先述した通り、非連続な変化に対して、専門家の予測というのは「原理的に外れるのが当たり前だ」ということです。

(注)
*5 https://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2007/01/jpn/sumj.pdf
*6 https://www.dai-ichi-life.co.jp/company/news/pdf/2007_009.pdf
*7 https://www.murc.jp/report/economy/archives/economy_prospect_past/short_past/er_070521/
*8 http://digital-stats.blogspot.com/2014/07/mckinsey-company-projected-that-there.html