「役に立つ」で戦うと「ほぼ全員」負ける

 もう少し踏み込んでみましょう。先述した通り「役に立つ」領域で戦うと評価指標は収斂しますので、以下の図の「1の象限」で戦えば基本的に「勝者総取り」となります。

 これはつまり、市場に参入しているプレイヤーのうち、勝者となるのはごく少数の企業だけであり、それ以外のほとんどが敗北する……つまりは構造的に「ほぼ全員が敗者になる市場」だということです。

 日本企業の多くは相変わらず「役に立つ」市場でコストを下げ、利便性を高めることで競争に勝つという戦略を追求しているようですが、グローバル化が進めば、この市場では世界のトップ数社しか生き残れない、という点についてはよくよく考えておく必要があります。

 もちろん、そのような市場であっても、何らかの障壁によって市場が国境によって分断されており、地理的な財の移動にコストがかかるのであれば、それぞれの国ごとにある程度の数の企業が存続できるかもしれません(*4)。

 しかし市場のグローバル化が進めば、グローバル市場での最終戦争=ハルマゲドンによる勝者総取りが発生し、世界中のほとんどの企業は生き残ることができません。

 ローカルに市場が分断されていれば、分断された市場ごとにチャンピオンが生まれることになりますが、これがグローバルに統一されればチャンピオンは一人しか生まれず、しかも勝者総取りということになれば、生き残れるのも一人だけということになります。

 典型例が検索エンジンでしょう。検索エンジンはまさに「役に立つけど、意味がない」という市場を代表するサービスです。

 人が検索エンジンに求めているのは「スジの良い検索結果」だけであって、そこに意味が介在する余地はまったくありません。しかも、提供している財は情報なので国境をまたいだ移動にもほとんどコストがかかりません。

 したがって、非常に収斂しやすい市場だということが言えるわけですが、では実際にどういう状況になっているかというと、2019年現在、グーグルの検索エンジンにおける市場シェアは36カ国で90%を超えている(*5)。

 これは「役に立つけど、意味がない」という市場において、国境をまたいだグローバル競争が起きると最終的にどのような状況になるかを端的に示す例と言えます。おそらく、近い将来において、他の「役に立つけど、意味がない」という市場においても、同様の収斂が発生するでしょう。

「役に立つ」より「意味がある」方が高く売れる

 一方で「意味がある」市場においては、その限りではありません。グーグルやアマゾンのような例は非常に目立つため、「勝者総取りがどの産業においても進行する」といった乱暴な物言いが最近ではよく聞かれます。

 しかし、先述した通り、これは「役に立つ」という便益を提供している市場に限定される話であって、逆に「意味の市場」においては、むしろ多様性が増していくだろうというのが筆者の見解です。

 なぜなら、人が自分の人生において重視する「意味」は極めて多様だからです。むしろ、「役に立つ」市場において収斂が発生すれば、ライフスタイルで他者と差別化することが必須の要請となっている先進国の人々は「意味」で差別化するという便益に高い対価を払うようになるはずです。

 これを逆に考えれば「役に立つ」ことよりも「意味がある」ことの方に、高い経済価値が認められるようになる、ということでもあります。

 この問題を考えるにあたって、極端に「意味形成能力の格差」が表出してしまっている自動車業界を例にとって考えてみましょう。

 皆さんもよくご存知の通り、世界にはさまざまな自動車メーカーが存在しています。たとえば我が国のトヨタや日産、あるいはドイツのBMWやポルシェ、あるいはイタリアのランボルギーニやフェラーリなどですが、これらを先ほどの「意味がある・ない」「役に立つ・立たない」のフレームで整理してみましょう。

 我が国のトヨタや日産が販売している車種のほとんどが「1の象限=役に立つけど、意味がない」に含まれることになります。

 この象限の自動車は主に「快適で安全な移動手段という便益」を提供しているだけで、特に「自分の人生にとっての意味合い」などは提供価値に含まれていません。つまり、この象限に属する自動車は主に「移動手段として役に立つ」という機能価値によって売れている、ということです。

 次に、ドイツのBMWやメルセデス・ベンツが販売している車種のほとんどが「3の象限=役に立つ上に、意味もある」に含まれることになります。

 この象限に含まれる自動車は、もちろん「快適で安全な移動手段」という機能価値も提供しているわけですが、それだけでは国産車との数百万円の価格差を合理化することはできません。

 これらの自動車は、購入する人に対して「快適に移動する」という機能価値に加えて「BMWに乗るという意味」や「ベンツに乗るという意味」という感性価値も合わせて提供しており、購買者はその「意味」に数百万円の対価を払っているということになります(*6)。

 最後に、イタリアのフェラーリやランボルギーニなどの超高級車、いわゆる「スーパーカー」と呼ばれる車種のほとんどが「4の象限=役に立たないけど、意味がある」に含まれることになります。

 こういったスーパーカーの多くは数百馬力のエンジンを搭載しているにもかかわらず、大概は二人しか乗れません。また荷物もほとんど積めず、車高が低いために悪路も苦手です。

 つまり「快適で効率的な移動手段」という側面からはまったく評価できない、ただ単に爆音を発して突進するというシロモノでしかありません。

 にもかかわらず、あるいはだからこそというべきか、こういった「役に立たない」自動車に数千万円、あるいは億単位のお金を払っても欲しがる人が後を絶ちません。つまり、こういうクルマを購入する人にとっては「唯一無二の意味」を与えてくれる存在なのです。

 さて、ここであらためて考えてみなければならないのは、象限別の価格水準です。あらためて確認すれば「1の象限」に含まれる国産車の価格帯が100万円~300万円、「3の象限」に含まれるドイツ車の価格帯が500万円から1000万円、「4の象限」に含まれるスーパーカーの価格帯が2000万円から1億円以上で、明確に前者よりも後者に大きな経済的価値が認められていることがわかります。

 これを端的に言えば、現在の市場においては「役に立つ」ことよりも「意味がある」ことに経済的価値が認められているということです(*7)。

 その点を最もわかりやすく示しているのが個別企業のPBR=株価純資産倍率です。これは企業の解散価値、つまり企業が現時点で保有している資産の総額と株価の総額=時価総額の比率を表すものですが、日本の自動車メーカーのそれは、最も高いトヨタでさえ1前後、日産は0.7前後でしかありません(*8)。

 つまり現時点で企業を解散して資産を株主に還元した場合と、株価が同じか、むしろ解散してしまった方が得だということです。

 これが何を示唆しているのかというと、株式市場は日本車とドイツ車を同じマーケットで戦っている会社だとは思っていない、ということです。

 日本車が「移動」という便益を提供することで利益を得ているのであれば、別の手段で「移動」という便益をより安く提供するプレイヤー、たとえばカーシェアリングやIT企業による自動運転車などの代替サービスが登場してきた場合、日本車は存続できないか、あるいは少なくとも激しい価格競争へと陥ることになります。

 一方で、単なる移動手段に加えて、「意味」も提供している企業についてはその限りではありません。ポルシェを購入している人は、単に「移動手段」を購入しているのではなく、ポルシェというメーカーに付随する歴史やストーリーや象徴といった「意味」を購入しているのです。

 この事例をはじめとして、たとえば連日オークションで落札されるアート作品や家具など、今日の世界において最も高額な対価が支払われているのは、すべて「意味」や「ストーリー」を持った製品です。

 モノが飽和し、モノの価値が中長期的な低落傾向にある時代だからこそ、これからは「役に立つモノ」を生み出せる組織や個人にではなく、「意味」や「ストーリー」を生み出すことができるニュータイプに、高い報酬が支払われる時代がやってきているということです。

(注)
*4 提供している財の体積あたりの付加価値によって収斂の度合いを考えてみると面白いかもしれない。たとえば世界中で「役に立つ」ガラスだが、体積あたりの付加価値が小さく、輸送コストが相対的に高くつくのでローカル企業が比較的、生き残りやすい。建築資材の提供業者は地域に分散化する傾向があるが、これは付加価値に対して相対的に輸送コストが高くつくからである。一方、ICチップなどは体積あたりの付加価値が非常に大きいので収斂しやすい。最も極端なのが情報財で、これは事実上、体積がゼロなので非常に収斂しやすい。GAFAが世界を席巻しているのは、彼らが提供する財の体積あたりの付加価値が極めて大きいからである。
*5 https://www.statista.com/statistics/220534/googles-share-of-search-market-in-selected-countries/
*6 ちなみに拙著『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』でも取り上げたマツダは、「役に立つけど、意味がない」というポジショニングから「役に立つ上に意味もある」というポジショニングへのシフトを行った企業の嚆矢と言えるかもしれない。
*7 面白いのがアート市場で、「役に立たない×意味がない」と「役に立たない×意味がある」の両方にまたがっている。ほとんどの作品は「役に立たない×意味がない」のセグメントで経済的価値(≠美的価値)が認められていないが、一旦、その作品に何らかの意味づけがなされると、作品そのものは変化しないのに「役に立たない×意味がある」のセグメントへと移行して莫大な経済的価値を持つことになる。生前に評価されなかった作品が死後に大きな価値を持つのは、このシフトによる。アートをビジネスとして捉えれば、その核心は、この「意味づけ」にあり、それを担うのがキュレーターでありギャラリストの仕事ということになる。現代アーティストの村上隆が著書『芸術起業論』の中で繰り返し指摘しているのは、この「意味がある・ない」のラインをいかに超えるかという論点についてである。
*8 2018年10月末時点での財務諸表データに基づく算出。その後、ご存知の通りゴーン社長逮捕のニュースが流れ、日産のPBRはさらに低い値となっている。