「老後の蓄えがない人間」は自己責任?
「どういう意味ですか? 弱者は切り捨てろということですか?」
倫理の目が急に剣呑なものになった。マズい。ここでさらに倫理まで興奮しだしたら収拾がつかない。というか、この話は一体いつまで続き、どこに着地するというのだろう。
「そうよ。適者生存、弱者は滅ぶ、それが自然の摂理でしょ?」
「でも、能力の問題だけではなく、病気とか不運によって弱者になった人もいますが」
「運だって実力のうちよ。餌がとれなかった動物が、サバンナの片隅で飢えて干からびて死ぬのと同様、不運にも沼に落ちて身動きが取れなくなった動物だってそのまま死ぬ。それでいいじゃない。無能も不運もバカも情弱も、環境に適応できなかったやつは滅ぶ。敗者は消える。当たり前のこと。それを変な倫理観を振りかざして止めようとするから世の中がおかしなことになるのよ」
「ほら、たとえば超高齢化社会、経済活動もできない病気持ちの老人がこれからたくさん出てくるわけだけど、その医療費は誰が出すの? 高齢者は弱者で助けるのは義務だから、若い人は財産を差し出して当然ってこと? そんな、モラルを盾にした若者を強制労働させる社会、健全と言えるかしら」
「むしろ、老後の蓄えができなかったのは自己責任なんだから、負け組の老人は、まともな医療が受けられなくてそのまま死んで当然、と切り捨てればいいのよ。そうすれば、ほら、老人と若者の割合も適切なものになるわけじゃない」
「それは暴言です!」
「でも、本音ではそうでしょ。弱者や無能やバカなんて、本当はみんな社会から消えてほしいと思ってる。倫理ちゃんだって、無能で何の取り柄もない異性なんて交際相手に選ばないじゃない。それって、敗者の切り捨てと何が違うの? 敗者は選ばれない。頭禿げてる無能な安月給の教師がずっと独身で、遺伝子が残らないのと同じ」