テクノロジー推進者の「二枚舌」

 腑に落ちない話である。絶大な影響力で世界にテクノロジーを広める立場にある者が、なぜ、プライベートでは極端なほどテクノロジーとの距離を置きたがるのか。仮にそれが宗教だったとして、指導者がわが子に宗教儀式を実践させなかったら、どれほど非難を浴びることだろう。

 それなのに話がテクノロジーとなると、業界内外の専門家の多くが慎重な態度を見せる。過度なのめりこみを生みやすいことで有名なビデオゲーム「ワールド・オブ・ウォークラフト」はやらないようにしている、と語るゲーム・デザイナーに出会ったのも一度や二度ではない。運動依存症を研究する心理学者は、いわゆる活動量計のたぐいを危険視し――「世界一愚かしい製品です」――自分は絶対に買うつもりはないと語る。

 ネット依存症患者専門の療養施設を開業した女性も、発売3年以内の新しいデジタルデバイスには手を出さないと話していた。携帯電話はつねにマナーモードで、しかもわざと不便な位置に「置き忘れる」ことによって、メールチェックをしたくならないようにしている(実際、私が問い合わせのメールを送りつづけても、一向に彼女と連絡がとれなかった。ようやくつながったのは、2ヵ月経った頃にたまたま本人が固定電話に出たからだ)。コンピューターゲームで遊ぶこともあるというが、彼女のお気に入りのゲームは「ミスト」。コンピューターの性能が低くてグラフィックを処理しきれなかった1993年にリリースされたゲームである。そもそも彼女が使っているパソコン自体が、30分ごとにフリーズして、再起動に永遠と思えるほど時間がかかるシロモノだ。

 インスタグラムの立ち上げに携わったエンジニア、グレッグ・ホッホムートは、自分の仕事は実質的に依存症製造機の開発だったと考えている。「どれだけハッシュタグをクリックしても、つねにその先がある」とホッホムートは言う。「まるで有機体みたいに独り歩きを始めて、やがて人間はハッシュタグに執着し出す」

 インスタグラムには終着点がない。他のさまざまなソーシャルメディア・プラットフォームも同様だ。フェイスブックのフィードはエンドレスにつながっていく。ネットフリックスでドラマを観ていれば、自動的に次のエピソードに案内される。出会い系アプリのティンダーでは、もっといい相手を求めて延々とスワイプしつづけずにいられない。

 こうしたアプリやウェブサイトは確かに便利でメリットもあるが、それを「節度ある」範囲で使用するのは本当に難しいのだ。過去にグーグルでデザイン・エシリスト〔プロダクトの倫理性を追求する役割〕という肩書きを得ていたトリスタン・ハリスに言わせると、問題はユーザーが意志薄弱かどうかという点ではない。「スクリーンの向こう側に、あなたの自制心をくじくことを生業とする人間が大勢いること」が問題なのだ