教養とは、世界で活躍するための「パスポート」である
「雑談は教養である」と言うと、違和感を覚える人がいるかもしれません。
「雑談というのは、営業や接客のスキルであって、グローバルエリートの前提条件ではない」と感じる人もいるでしょう。
しかし教養とは、世界で活躍するためのパスポートのようなものです。すなわち、それがないとそもそも人の輪に入れない。お呼びではないのです。
日本人同士であれば、善し悪しは別として「A大学出身です」と言うと、その人の知的レベルがなんとなく伝わります。あるいは「一流企業勤務=教養人」とみなされることもあるでしょう。
ところが世界のエリートが集まる場では、あなたが出身大学を言ったところで、相手にはそれがどんな学校であるか、わかりません。企業名にしても、それだけでは知的レベルの証明にはなりません。
ご存知の方も多いと思いますが、英タイムズ・ハイヤー・エデュケーションによる「THE世界大学ランキング2019」では、東京大学は四二位。アジアでランクが一番高い中国の清華大学が二二位ですから、日本の大学は世界の一流校にはほど遠いのが現状です。
外国人の前で、日本では一流とされる大学の名を出したとしても「ふうん、そういう大学が、この世界の片隅にあるのですね」と軽く流されてしまいます。
そもそも世界では、出身大学以上に、修士や博士課程で何を学んだかが問われます。日本の出身大学名にこだわっていると世界の基準から外れた痛い人になってしまいます。
仮に仕事抜きだとしても会ってみたい人、それが教養のある人です。教養さえあれば、
「この人は信頼できる人だ」
「面白そうなことを話す人だ」
そう思ってもらうことも、十分に可能です。
私がそのことを痛感したのは、外務省の研修で行かせていただいたケンブリッジ大学での連日のランチやディナーの席でのことでした。
そこでの会話は相手の専門分野から始まって、芸術、文化、歴史、スポーツ、映画の話題が中心。幅広い教養がないとまったく会話に入っていけず相手にされません。
外交やビジネスの現場でも、本当に関係を構築するのであればディナーやランチといった社交が伴います。実は、そのような場でビジネスの話ばかりしていると幅の狭い人間と思われて、次の仕事がこなくなるかもしれません。豊かな教養がにじみ出るような、魅力的な会話が不可欠です。
「モノを売る前に自分を売れ」というのが営業の王道のようにいわれていますが、大きなビジネスであってもそれは同じ、いや、それ以上に重要です。あなたの「会社」の取引内容より、あなたという「人」に興味を持ってもらい、人間関係を構築できないと、新しいビジネスは生まれにくいものです。
ケンブリッジ大学は、世界でノーベル賞受賞者を多く輩出している大学の一つですが、常に異分野・異文化の人間が交流・議論していることがその理由だともいわれています。異分野・異文化についての知見は、まさに教養であり、斬新なイノベーションは幅広い教養に由来するのです。
その意味で、雑談力とは世界で働く人の武器であり、教養はその前提となる知的資本であると言えるでしょう。まさに世界で活躍するためのパスポートのようなものです。
「いやあ、私は海外出張があるような仕事ではないし、職場に外国人もいない」
そのように受け止める人がいるかもしれませんが、日本だけで完結するビジネスは消えつつあります。昔ながらの製造業であっても原材料は世界のあちこちからやってくるし、市場は世界中にあります。
廃棄物の処理から従業員の休みの確保まで、働く人は誰もがグローバルスタンダードと無縁ではいられません。世界中からありとあらゆるいいものをかき集め、広い意味での「エコシステム」を構築していく。これが今後の企業のあり方ですから、教養という異分野・異文化の物事をつなげる力はますます必要となってきます。