哲学と宗教はどんな学問か
それから、「哲学と宗教を一緒の本にするのは、おかしいのでは?」と言う人もいるかもしれませんが、よく考えてみたら、哲学と宗教の区別って、あまりないのです。
哲学は、簡単にいえば、世界のすべてを知りたい、何でも知りたいという学問だと思います。
でも、何でも知った人はだいたい宗祖になるので、自分は世界のすべてを知ったと思う人はその教えを人に話したくなる。
もちろん、哲学と宗教は、違いもある。「信じる」という行為が宗教のコアにあり、哲学は「理解する」という行為がコアにある。
理解することと信じることとの間にはかなりの違いがあるように見えますが、その境界はグラデーションになっていて、どこまでが哲学で、どこまでが宗教かはわからない。
だから、世界を丸ごと理解しようとした哲学者の試みと、迷っている人を丸ごと救ってやろうと思った宗教家の考えは、近いものがあると思ったわけです。
この2つは互いに影響を与え合っていますから、インドで生まれた輪廻思想、つまり、世界や時間はグルグル回っているという考え方は、ギリシャに流れてピュタゴラス教団を生みました。
それがおそらくプラトンの二元論にも影響を与えているので、そういう意味では、哲学と宗教は互いに影響を与え合いながら、現在まで進んできたのだと思います。
それが、哲学と宗教を丸ごと書いてみようと思った理由です。
だから、寺田さん(ダイヤモンド社の編集担当)が最初に僕のところに来られたときに、「哲学の本を書きませんか」というご提案だったのですが、直感的にそのように考え、「書くんだったら宗教も一緒にまとめたらどうですか」と言ってしまったのです。
その後、なぜ、今、「哲学と宗教」の全史を出す意味があるのかについて、自分なりに考えました。
出た結論はこうです。
現在の学問は、あるいは現在の知識は、あまりにも細分化されていると思うのです。
専門家は山ほどいる。
でも、昔の哲学者や宗教家や文人たちは、専門を持ちながら、全体がどうなっているかを丸ごと理解しようとした人がほとんどでした。
今は逆で、大学の先生たちも、細分化しすぎている。
僕の好きな歴史でも、日本の中世だけをやる。さらにその中世でも「院政」だけをやるというように、もちろん幅広く勉強されている方もいますが、本当に細分化しています。
そうしたら、すごく面白くて鋭い研究論文はできるんですけれど、パートが鋭くて面白ければ面白いほど、やっぱりそこにのめり込んでしまって全体が見えにくくなる。