ポスト構造主義者の主張とは?
「『自分たちが生きている社会の構造をきちんと把握しよう。そして、その構造上の欠陥を見つけ出し、それを修復してもっと豊かで幸せな未来を作り出そう』」
なるほど。
ようは、人間はいつまでも構造の奴隷ではなく、むしろ自分たちで都合の良い構造をデザインしていこうという話か。たしかにそれなら建設的で希望がある。
「だが、ポスト構造主義の哲学者たちは、その希望をこんなふうに打ち砕く」
「『そんなことは不可能だ! 人間は自分の意志で構造を作り変えることなど絶対にできない!なぜなら、その作り変えようという意志自体が、いまとらわれている構造から生み出されたものにすぎず、元の構造を越えたものを作り出すことなんてできないからだ!』」
うわ、出た。人間の理想や希望を打ち砕く、例のパターン―正義があると言えば「そんなもんねえよ人間なんかただの原子の塊だ」と言い、神がいると言えば「そんなもんとっくに死んだぞ」と言い放つ、いつもの身も蓋もない右側の哲学思想だ。
しかも、それは実存主義から数えて3回連続で「右」が続いたわけであり、ついに行きつくところまで行きついた気がする。
「まあようするに、『コップの水は、一度コップに入ったが最後、コップの範囲の中でしか動くことができないのだから、どうやったってそのコップから抜け出せない』という話だと思ってもらえばよいだろうか。もちろん、このポスト構造主義の主張を真に受ける必要はないかもしれない」
「だが、当時、天才といわれた者たちが主張した内容に、我々は耳を傾ける義務があるだろう。なぜなら、そうしなければ『今』という、もっとも新しい時代を生きる我々は、ポスト構造主義を乗り越えた『新しい哲学』『新しい生き方』を生み出すことができないからだ。ではここで、より深くポスト構造主義を知るため、その代表的な哲学者をひとり紹介したいと思う」
「ミシェル・フーコー。フランスの哲学者だ」
次回に続く。