ソースネクストのような翻訳機は前例がないので、初回は需要予測が非常に難しかったようです。試作品も非常に人気だったけれども、蓋を開けてみなければわかりません。しかし心配をよそに、初号機から爆発的に売れていきました。そして、個人のお客さまはもちろん、法人のお客さまには幅広い業種で活用されています。その意外な例とは…?
ソースネクストは創業以来ソフトウェアを販売してきて、大手家電量販店とも懇意にしています。ある家電量販店の社長のところへ、AI通訳機の試作品を持っていきました。すると、「間違いなく売れる」と太鼓判を押してもらえました。
しかし従来にない製品ですから、どれぐらい売れるのか、まったく予測のしようがありません。
社内でも「何十万本と売れるんじゃないか」「そんなに多く見積もったら危ない。数千本レベルだろう」などと意見が割れました。
どこまで売れるか、成否のカギを握るのは広告だ、と私は考えていました。発売当初から思い切って広告宣伝費を投じれば、売れ行きが大きく変わる。ここは、アクセルを踏み込むしかない。
それまでソースネクストも何度か経営危機を経験しており、決して順風満帆にきたわけではありません。ところが「ポケトーク」を発売しようとしていた2017年には業績もかなり安定していたので、仮に失敗しても致命傷は負わないはずだという計算もありました。
2017年12月13日、「ポケトーク」の記念すべき1号機を発売しました。売れるとは思っていたものの、なんと初期生産数がわずか11日間で売り切れてしまいました。最初の生産台数を控えめに設定はしたものの、改めて、AI通訳機のニーズの強さを実感した瞬間でした。
その後も快進撃は続き、「ポケトーク」は約1年半で累計出荷台数50万台の大ヒット製品となりました。1台当たり約3万円という安くない価格帯の製品で売上50万台というのは、おそらく衝撃的といっていいと思います。
さらに嬉しかったのは、数々の賞を受賞できたことです。
世界最大級のエレクトロニクス展示会「IFA 2018」で、Innovation Awards at Show Stoppersのモバイルコンピューティング部門賞を、さらに2018年の日本経済新聞社による「日経優秀製品・サービス賞最優秀賞」の日本経済新聞賞、『日経トレンディ』が毎年発表する「2018ヒット商品ベスト30」にランクインするなど、高い評価をいただけました。
発売から1年足らずの2018年10月には、音声翻訳機のシェア97.5%(BCNランキングより)を占めていました。個人のお客さまはもちろん、外国人観光客の対応に迫られている小売店やタクシーなどの法人需要も大きいためです。
2018年、日本を訪れる外国人観光客は年3000万人を超え、2020年には4000万人を超える見込みです。
個人のお客さまの場合は、「これを買ったことで2万9800円以上の楽しみが得られるか」という効果を数字で表しづらいですが、法人のお客さまの場合は費用対効果を数値化できます。つまり、1台2万9800円で「ポケトーク」を買って使った結果、それ以上の収益につながるかどうかでしょう。
たとえば高級なブランドショップで、外国人観光客一人に商品1点を売るだけで何十万円もの利益が出るのであれば、言葉が通じないために売り逃すより、販売員にAI通訳機を持たせたほうがいい、という判断をされるのではないでしょうか。
通訳者を雇用する手もありますが、その費用はおそらく年間で一人1000万円は下らないでしょう。特にブランドショップなどでは、どんなシチュエーションにおいてもホスピタリティのある対応が求められます。高度なサービス対応ができて、しかも英語を含む多言語で細かなニュアンスまで伝えられるほど堪能な通訳者となると、ごくわずかしかいないはずです。また、そのレベルに社員を教育するといっても時間とコストがかかりますから、それならAI通訳機のほうがいい、という結論になるのではないでしょうか。
すでにハイブランドの宝飾店などのほか、化粧品メーカーや日本一の品揃えを誇る玩具店、鉄道など交通機関、ホテル・旅館、レストランなど、さまざまな業種で「ポケトーク」を装備してくださっています。
私たちの想像が及んでいなかった興味深い例では、美容室があります。近年は外国人のお客さまも増えているそうで、カウンセリング時点で要望がうまく伝わりきらず、希望のスタイリングにならなかったことでクレームにつながることも多いそうです。髪を切ってしまったり染めてしまうと、元に戻すためには時間がかかったり痛んだりするので、お客さまの怒りや嘆きもひとしお。そういったトラブルを回避するうえで、「ポケトーク」なら微妙なニュアンスまで正確に訳してくれて安心だ、と評価を頂いています。
過去にも翻訳機はありましたが、「ポケトーク」が法人・個人ともにこれだけ売れたのはなぜか。理由はいくつか考えられます。
まずは、きちんと翻訳ができる翻訳機だったことです。
オフラインの翻訳機を使った経験のある方ならば、「使えない代物」というイメージを持っていたでしょう。この点について私たちは、「スマート留守電」で経験済みでした。オフラインの翻訳エンジンは、ほとんど使い物にならないのです。
となれば、クラウドを使うしかありませんが、通信ができない場所では使えません。製品にして売るとしたら、やはり無難にオフラインでも使えるようにしたほうがいい、という意見も社内ではありましたが、私は反対しました。
おかしな翻訳が出るくらいなら、訳せないほうがいいくらいだ、という判断からでした。翻訳機で一度でもおかしな訳が出たら、「使えない」というレッテルを貼られます。それは、最も避けなければいけないことでした。
のちに、病院でも海外の患者さんがいらっしゃる場面で使われるようになり、このときの判断は正しかったのだ、と思いました。「これ(翻訳機)のおかげで命が助かりました」というお客さまの声もいただきました。こんな緊迫した場面で間違った翻訳をしていたら、命の危険に関わります。メーカーが思いもつかない用途で使われる可能性がある以上、高い精度を維持すべきです。
また、翻訳はスムーズにすべての言葉を拾えなければなりません。そのためにマイクの精度を高めたわけですが、同時に、翻訳スピードにもこだわりました。翻訳エンジンの精度は、グーグルしかりバイドゥしかり、ディープラーニングで学習してどんどん高まっているので、それらと契約すればいいわけですが、ただ搭載するだけではスピードは速くなりません。
ソフトウェアのチューニング──専門的な言葉を使うと、プログラムのコーディングの仕方が翻訳スピードを左右します。そしてより速くするために、音声は通信を介して受け取る手間を省き、テキストだけを受け取って、端末側から音声を出力するようにしています。こういった点が、ソフトウェアをずっと手がけてきた経験豊富な当社の強みであり、技術者の力量によるところが大きかったと思います。
実のところ、ハードウェアを真似ることは容易ですが、特に難しいのは、ソフトウェア部分です。ポケトークでは、ソースネクストの長年の経験が結実しています。
もちろん、「良い製品」を作ることは必須でしたが、マーケティングにもこだわりました。まずは価格。2万9880円と、2万円台にとどめたこと。コストにも見合い、かつ買いやすいギリギリの価格設定にする。これが3万円以上だったら、売れ行きはもっと低調に終わったと思います。
そして、家電量販店で圧倒的な売り場を確保できたこと。これは、卸を通さない直接取引の体制が構築できていたからこそ実現できました。もし、卸を通す販売ルートしかなかったら、扱ってもらえなかった可能性すらあります。また、卸を通じてでは、売り場の作り方や取扱量について、量販店と直接交渉することは難しかったでしょう。
さらに、流通販路として弊社が保有する1700万人の顧客データベースを反映した自社のウェブサイトを活用したこと。加えて、後に詳述しますが、インパクトある広告コミュニケーションの効果も絶大でした。いってみれば、ソースネクストの二十数年間のノウハウをすべて詰め込んだプロジェクトになったのです。
売れた理由をいろいろ分析してみましたが、実はもっとシンプルに、「世界中の人と話せる喜び」や「会話が通じたときの嬉しさ、感動」がなによりも大きかったのかもしれません。
ビジネスとして成功することももちろん大事ですが、「会話が通じて、楽しかった。ポケトーク、ありがとう」という声が多いのが素直に嬉しいです。
我々のミッションは「製品を通じて、喜びと感動を、世界中の人々に広げる」です。「ポケトーク」はこのミッションを具体化したような製品ですから、それを通じて喜んでいただけることは何にも優る喜びです。(つづく。もっと詳しく知りたい方は、ソースネクスト松田社長の著書『売れる力』をチェック!)