ソフトバンクグループを率いる孫さんの印象は、1カ月、3年、10年以上と付き合う期間によって全然違う?! 書籍『ファイナンス思考』著者・朝倉祐介さんの対談シリーズに、今回はマッキンゼー・アンド・カンパニーからソフトバンクグループに転じ、トップである孫正義さんの懐刀として長らく活躍された安川新一郎さんをお迎えしました。安川さんは現在、東京都や政府CIO補佐官として行政のアドバイザーからスタートアップ支援まで幅広く活動されています。孫さんのもとで鍛えられた30年、300年という長期ビジョンの描き方について、伺っていきます。
転職のとき念頭にあった二つの軸とは?
朝倉祐介さん(以下、朝倉) 今日は、マッキンゼーの大先輩をお迎えできました。ありがとうございます。僕たちの世代は「マッキンゼー2.0」と呼ばれ、先輩方からは「マッキンゼー日本オフィスの黎明期とまったく違う環境で育っている」と言われますが、安川さんは「1.0」世代ですね。
グレートジャーニー合同会社代表
マッキンゼー・アンド・カンパニー東京支社・シカゴ支社に8年勤務。主に通信ITセクターを担当。1999年ソフトバンク株式会社入社。社長室長としてマイクロソフト等とのJV立ち上げ、各種投資案件に関わる。ナスダック・ジャパン(現大証ヘラクレス)創業メンバー、常勤監査役。 その後ヤフーBBを始めとするブロードバンド事業、データセンター事業の立ち上げに参画し、アイ・ピー・レボルーション(株)代表取締役社長、グローバルセンタージャパン(株)取締役を歴任。その後、日本テレコム(株)、ボーダフォンジャパン(株)の買収に伴い、ソフトバンクテレコム(株)執行役員インターネット・データ事業本部長、ソフトバンクモバイル(株)執行役員法人事業推進本部長、執行役員プロダクトサービス本部副本部長を歴任。現在は、孫泰蔵氏の設立したMistletoe(株)の上級フェローとして、社会起業家の支援等を行いつつ、政府CIO補佐官等としての行政課題の課題解決、や企業変革に取り組む。一橋大学経済学部卒。
安川新一郎さん(以下、安川) 僕は20世紀のマッキンゼーの人間で、夜中じゅう働いて、合コンにも行った記憶はありませんが、最近は合コンにも行けるしモテるらしい、と聞きました(笑)。
朝倉 僕ら「2.0」世代も合コンは行けてませんので、きっと「3.0」世代がそうなんじゃないですか(笑)? ですから安川さんとは現役時代は重なっていないですが、マッキンゼー出身者のなかで、スタートアップに関わる人で集まる機会があって、そこで初めてお話ししたんですよね。
安川 マッキンゼーのネットワークは非常にありがたいです。僕は辞めて20年以上経っているので、マッキンゼーOB/OGといっても、名前は聞いたことがあるけれど会ったことはない、という人が多いんですよね。でも、そういう集まりで顔を合わせれば、それぞれ能力が高くて、性格がナイスな人ばかりで、すぐに話が通じる。
マッキンゼーの「ソーシャル・グッド(社会に良いインパクトを与えること)」を重視する文化をみんながもっているからではないか、と思うんですよね。コンサルティング会社にとって、クライアント企業を業界ナンバーワンに押し上げることはもちろん重要ですけど、マッキンゼーの場合は、クライアントを変革することで業界全体や社会を変えたい、といった青臭い、いい意味で(笑)傲慢な議論が多かったように思うんです。ノブレス・オブリージュ(社会的地位や財力をもつ者には、相応の社会的責任と義務が生じる、というフランスから広がった道徳観)をどう実践するか。だから、朝倉さんもそうですけど、私より遥かに若い世代のOBと話していてすぐに価値観が合うのを感じます。
朝倉 安川さんはマッキンゼーから、黎明期のソフトバンクに転じられたんですよね。
安川 黎明期と言われると僕より先輩に怒られますが(笑)……そうですね。マッキンゼーは面白かったのですが、実業をちゃんとやってみたいと思ったのがきっかけです。多くのコンサルタントが、一度は思うことですよね。
転職先は二つの軸で選びました。一つは、成長している産業に属しているかどうか。やはり急成長する企業には、魅力的な人が多いし、組織がさわやかじゃないですか。逆に、低成長のクライアントを見てると、延々と会議をやって社内政治で発言して……みたいなことが往々にして起こっていて虚しい。
もう一つは、すでにナンバーワンか、あるいはナンバーワンを目指すポジションにあるかどうか。業界ナンバーワンの会社は、競争構造をつくるゲームチェンジャーの発想をする。2位、3位の企業は、どうしてもナンバーワンがどう動くかをまず見たうえで対応する戦略になったりする。
当時、成長する業界は僕には明らかにインターネット業界に見えたし、そこでナンバーワンになると公言している会社はそのころソフトバンクだけだったんです。私の入社時からソフトバンクどのぐらい成長したか調べてみたら、2000年~2017年の間に、売上が20倍、利益が60倍、ただ借金も40倍ぐらいになってました(笑)。
朝倉 すごい成長ですよね。
まず300年先を考える
シニフィアン株式会社共同代表
東京大学法学部卒業。マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、東京大学在学中に設立したネイキッドテクノロジーに復帰、代表に就任。ミクシィへの売却に伴い同社に入社後、代表取締役社長兼CEOに就任。業績の回復を機に退任後、スタンフォード大学客員研究員等を経て、政策研究大学院大学客員研究員。ラクスル株式会社社外取締役。株式会社セプテーニ・ホールディングス社外取締役。2017年、シニフィアン株式会社を設立、現任。著書に、新時代のしなやかな経営哲学を説いた『論語と算盤と私』(ダイヤモンド社)など。
朝倉 安川さんは、孫さんのもとで「30年ビジョン」等の戦略構築を担ってらっしゃいましたよね。未来を予測するというのは、どういう視座をもってどのように行われるのか、あるいは、それをどう会社の事業戦略に落とし込まれているのか、といった勘所について、今日はぜひ伺いたいです。
安川 当然、孫社長はインターネットが、最近であればAIが、変えるであろう世界の全体、しかも、何百年も先を見ているんですよね。
朝倉 ソフトバンクで最初のお仕事は何だったんですか。
安川 (ADSL接続サービスの)ヤフーBBになる高速インターネットプロジェクトの立ち上げを、孫(正義)社長と一緒にやってました。同時に、(米国のNASDAQを運営する全米証券業協会、大阪証券取引所と共同で設立した証券市場の)ナスダック・ジャパン(現大証ヘラクレス)の立ち上げもやれ、と言われて、同時に両方を……という気持ちでしたが、当時、社長はどうしてもブロードバンドもベンチャーのための証券市場もやるんだ!!という感じで。
しかも社長室長もだ、と言われて、仕事の合間には「もう辞めたい」と言う秘書さんとランチをして愚痴を聞きながら引き留めたりもしてました(笑)。
最近は、弟の(孫)泰蔵さんとも一緒にお仕事をさせていただく機会がありますが、兄弟そろって非常にビジョナリーです。もちろん、二人とも経営者としての事業収益や案件の交渉条件の切れ味もすごいんだけど、究極の目的意識はそこになくて、もっと何百年先の人類の未来をどう作るかを真剣に考えている。孫社長が後継者育成プログラム(アカデミア)をスタートしたのも、自分がいなくなったときのソフトバンクや世の中を考えてのことですしね。そういう100年先を意識した社員研修や社員大会もたくさんやってました。
朝倉 みんなの目線を、未来に向けさせるんですね。
安川 そうです。「30年ビジョン」の場合も、最初は300年先を考えろ、と言われて、最後に30年ビジョンで許しといてやろう、みたいな感じで。でもたしかに、いったん300年先まで思考を広げると、急に30年が身近に見えるんですよね。「100億円稼げ」と言われて、エーっ!!無理だよ!と思って、翌日「10億円でいいよ」と言われたら、「10億で許してもらって、ありがとうございます!」となるじゃないですか(笑)。
朝倉 そういう未来予測への意識づけというのは、言語化されないまでも、2000年頃からずっと組織のなかで共有されてきたということですか。
安川 そうです。孫社長は、大学時代にアメリカの電子機器関連の雑誌で7色に輝くマイクロチップの写真を見て、涙を流さんばかりに感動してソフトバンクを創業してます。以来IP技術が出たら真っ先にジョン・チェンバース(シスコ・システムズ元CEO)と仲良くなって本社の社外取締役に収まってましたし。その後も、ヤフーやアリババなど常に当てて、経営者としてロイヤルストレートフラッシュを何度も決めているわけです。普通なら、一生に1回当てただけでも十分成功と言われるようなことを、未来を真剣に考えるすることで何度も成功し続けてきている。