もし、ロシアがイスラムの国だったら?
美術の力で布教に努めたのは、東方正教会も同じです。
私はかねてから世界の東方正教会に何度も足を運んでおり、本書の執筆にあたってウクライナ、ベラルーシを訪問しましたが、改めてイコンの多さと荘厳さに感嘆しました。
建前的には「偶像ではない」とされていますが、イコンははっきりとキリストが書かれた東方正教会の聖画。キリスト教の物語を表しているのはローマ・カトリックと同じで、多くが黄金に覆われたきらびやかなものです。「何枚も重ねて飾られたイコンの背後にある神様に祈っている」ということになっていますが、イコンの豪華さを布教や伝道のツールとしたのは明らかでしょう。
つまり、東方正教会もカトリック同様、ヴィジュアル戦略をとったわけですが、これに魂を射抜かれたのは庶民ばかりではありません。一〇世紀、キエフ公国ウラジミール大公がギリシャの東方正教会を受け入れたのは、イコンの美しさに魅せられたからだといわれています。
キエフは今のウクライナですから、いってみればこれがロシアや東ヨーロッパが東方正教会のエリアになったきっかけなのです。コンスタンティノープルがイスラム教徒の支配下になって以降は、ロシアが東方正教会の中心になりました。
かつての東ローマ帝国ではキリスト教とイスラム教が争いを繰り返し、今のトルコがイスラム化したのが同じく一〇世紀頃。キリスト教とイスラム教の覇権争いは、世界中で繰り広げられていました。ロシアはローマ・カトリックの国になる可能性はもちろん、イスラムの国になる可能性もあったということです。
もしも、ロシア一帯がイスラム教社会になっていたら、共産主義は生まれなかったかもしれず、中東のイスラム圏と似たような国になっていた可能性すらあります。
ちなみに、東方正教会の人々は、ロシア人といいギリシャ人といい、人間関係の密度が高いと感じます。お互いに助け合おうという感覚が強いというのは、東方正教会のエリアに赴任した経験がある人がよく抱く感想です。