私たちは「1枚の絵画」すらもじっくり見られない

さて、ここで質問です。

いま、あなたは「絵を見ていた時間」と、その下の「解説文を読んでいた時間」、どちらのほうが長かったですか?

おそらく、「ほとんど解説文に目を向けていた」という人がかなり多いはずです。
あるいは、「鑑賞? なんとなく面倒だな……」と感じて、すぐにこちらに進んだ人もけっこういるかもしれません。

私自身、美大生だったころはそうでした。
美術館を訪れることは多かったにもかかわらず、それぞれの作品を見るのはせいぜい数秒。すかさず作品に添えられた題名や制作年、解説などを読んで、なんとなく納得したような気になっていました。

いま思えば、「鑑賞」のためというよりも、作品情報と実物を照らし合わせる「確認作業」のために美術館に行っていたようなものです。
これでは見えるはずのものも見えませんし、感じられるはずのものも感じられません。

とはいえ、「作品をじっくり鑑賞する」というのは、案外けっこう難しいものです。
じっと見ているつもりでもだんだんと頭がボーっとしてきて、いつのまにか別のことを考えていたりもします。

いかにも想像力を刺激してくれそうなアート作品を前にしても、こんな具合なのだとすれば、まさに一事が万事。

「自分なりのものの見方・考え方」などとはほど遠いところで、物事の表面だけを撫でてわかった気になり、大事なことを素通りしてしまっている――そんな人が大半なのではないかと思います。

……でも、本当にそれでいいのでしょうか?

大人が《睡蓮》のなかに発見できないもの

「かえるがいる」

岡山県にある大原美術館で、4歳の男の子がモネの《睡蓮》を指差して、こんな言葉を発したことがあったそうです。

みなさんは先ほどの絵のなかに「かえる」を発見できましたか?