マティスの時代から遡ること500年。時代はルネサンスです。西洋美術の基礎となる技法の多くは、14世紀あたりからはじまるこの時期に確立しました。

ルネサンス絵画」と聞いて、みなさんはどんなイメージを持ちますか?
この時期には「なに」が描かれていたと思いますか?

「うーん、いろいろな画家が自由に描きたいものを選ぶわけだから、ありとあらゆるものが描かれていたんじゃないですか?」

じつは、そうではありません。ルネサンスの時代には、「画家が描きたいものを自分の好きなように描く」という考え方は、ほとんどありませんでした
そういった発想は、ずっとあとの時代に定着したものだからです。私たちがなんとなく持っている「画家=自由奔放で我が道を行く人」というイメージは、当時は決して一般的ではなかったのです。

ルネサンス時代の画家は、主に「教会」や「お金持ち」によって雇われ、依頼された絵を描いていました。
彼らは、「アーティスト」というよりも、注文によって家具や装身具などをつくる人たちと同じ「職人」として扱われていたのです。
たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチは、ルネサンス期に画家の地位向上のために奮闘したことでも知られていますが、彼でさえも現代のような独立したアーティストではなく、やはり教会やお金持ちに雇用される立場にありました。

レオナルド・ダ・ヴィンチは「誰」に雇われていたのか宗教画(レオナルド・ダ・ヴィンチ《最後の晩餐》1495〜1498年、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院、ミラノ)

では、教会やお金持ちは、画家にどのような絵を“注文”していたのでしょうか?
まず「教会」が求めたのは、もちろん、「キリスト教」をテーマにした宗教画です。

16世紀ごろまでのヨーロッパでは、ごく一部の知識階層を除き、文字を読める人はほとんどいませんでした。そんななかで、よりいっそうキリスト教を広めるために、絵画によって聖書の世界観をビジュアル化するという手段がとられたのです。

聖書の内容を「現実味を帯びた絵画」にすることで、より多くの人が明確なイメージを共有することができます。口頭だけで伝えるよりもずっと効果的だったことでしょう。
「昔の絵はどうしてこうも宗教画ばかりなのだろう」と感じたことがある人もいるかもしれませんが、そこにはこのような事情があったのです。

レオナルド・ダ・ヴィンチは「誰」に雇われていたのか肖像画(ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《若いイギリス人の肖像》1540〜1545年、パラティーナ美術館、フィレンツェ)

もう一方の依頼主は「お金持ち」ですが、その代表格はやはり「王侯貴族」です。

王侯貴族たちは「肖像画」を求めました。当時、権威や権力を示すうえで、自分の姿を残すことができる肖像画は欠かせないものだったからです。

当然ながらそこで求められるのは、アーティストの個性的な表現よりも、「生き写しであるかのような正確な表現」です。