レオナルド・ダ・ヴィンチは「誰」に雇われていたのか神話を扱った作品(サンドロ・ボッティチェッリ《ヴィーナスの誕生》1483年ごろ、ウフィッツィ美術館、フィレンツェ)

また、王侯貴族のあいだでも「キリスト教」が主題の絵画は人気でしたし、「神話」を扱った作品ももてはやされました。

とくに、古代の地中海世界で生まれたギリシャ神話は、ルネサンス期の西洋人にとって欠かせない教養でした。これらの絵画を所有していることで、本人の学識を誇示できると考えられていたのです。

これらの絵では、遠い昔の物語が、まるでいまここに存在するかのように「臨場感のある表現」で描かれることが求められました。

さて、時代が進み17世紀頃になると、絵画を購入する新たなお金持ち階層として「裕福な市民」が登場してきます。

レオナルド・ダ・ヴィンチは「誰」に雇われていたのか風景画(ヤン・ファン・ホイエン《マース河口(ドルトレヒト)》1644年、国立西洋美術館、東京)

彼らのなかでも、カトリックの偶像崇拝に反対して台頭したプロテスタント信徒たちは、宗教画を求めませんでした。また、深い知識が必要な従来の主題よりも、わかりやすく身近な絵画を好む傾向もあったようです。
経済的余裕のできた市民は、「肖像」以外にも、「風景」「日常生活」「静物」などを題材にした絵を欲しがります。

しかし、その目的はあくまでも、自分たちの生活や故郷などの一場面が切り取られ、見事な絵として描き上げられること。そこでもやはり、「現実感のある表現」が望まれたのです。

「職人」としての画家が目指していた「ゴール」とは?

ルネサンスの時代には数多くのすぐれた画家が登場し、膨大な作品が生み出されました。
しかし、それらのほとんどは、教会やお金持ちからの要望によって描かれたものです。

その意味で、当時の画家の多くは、「真のアーティスト」というよりも、他人に定められたゴールに向かって手を動かす「職人」に近かったといえます。

そして、そこで一貫して求められていたのが、まるで手を伸ばせば触れられるような「写実的な表現」でした。

画家たちは、目に映る3次元の世界を2次元のキャンバスに描き写すにはどうすればいいかをめぐって、試行錯誤を繰り返しました。「遠近法」など西洋絵画の基礎となる多くの方法論は、ルネサンス期の数百年間をかけて、彼らが少しずつ発明していったものです。これらはやがて、目に映るものをそのとおりに描くための理論として確立されていくことになります。

その後、20世紀が訪れるまでの長いあいだ、「目に映るとおりに世界を描くこと」は画家たちを惹きつけてやまないテーマとなりました。
もちろん、500年もの期間には、そうやってひと括りにはできないような多様なアート作品が生まれていますが、いずれも根本をたどれば目的は同じだったといえます。
当時、ほとんどの人々にとって、「すばらしい絵」とは「目に映るとおりに描かれた絵」であり、それこそがアートの「正解」だと考えられていたのです。