戦争が「貨幣制度」「中央銀行」「資本主義」を生み出した
中野 誰かが設計してそうなったわけではないことです。むしろ、ヨーロッパ各国が戦争を繰り返すなかで、試行錯誤をするうちに、知らず知らずのうちに、貨幣制度も中央銀行も資本主義も、そして国家すらも生み出されてきたんです。
――それは、かなりショッキングな事実ですね?
中野 たとえば、中央銀行制度の先駆となるイングランド銀行は、1689年から始まったフランスとの九年戦争を契機に生み出されたものです。
まず、対仏戦争の戦費調達をするために、1692年12月に、国債に関する最初の法律が成立し、翌年1月から、トンティン年金国債の発行が開始されました。そして、その国債を引き受けて、イギリス政府に対する長期融資を行うことを目的に設立されたのがイングランド銀行です。
イギリス政府は、イングランド銀行に銀行券発行業務を独占させることを認め、イングランド銀行券と同行の預金債務を徴税の支払い手段として受け入れました。こうして、徴税権に裏付けられたポンドは貨幣としての安定性を高め、資本主義の勃興につながっていきました。そして、銀行制度によって多額の投資が可能となったことで、産業革命が成し遂げられることになるわけです。
――なるほど。
中野 あるいは、ナポレオン戦争中に、イギリスは意図せざる経済政策の革新も生み出しました。当時、フランスが金を国内に流入させる政策をとったことで、イングランド銀行の保有する金が著しく減少したため、1797年、イギリス政府は、「銀行制限法」によってイングランド銀行券と金の兌換の停止に踏み切らざるを得なくなったんです。
この兌換停止は1821年まで続いたのですが、この間、金兌換の制約から解放されたイギリスは、不換紙幣を増刷することで戦費を調達できるようになったのですが、これが同時に金融緩和の効果も生み出したのです。
こうした意図せざるケインズ主義的マクロ経済政策の結果として、ナポレオン戦争中のイギリスは好景気を謳歌。イギリスの国内総生産は、1790年から1815年までの間、年率2.25%のペースという、これまでにない成長を遂げました。国民所得は、フランス革命以前は1億3000万ポンド程度でしたが、1814年には4億ポンド近くまで増大したんです。
これに対して金融システムが遅れていたフランスでは、公債による戦費調達が困難であったため、それが軍事費に厳しい制約を課していました。また、公債の発行は不道徳的であり、秩序破壊的であるという偏見を抱いていたナポレオンは、イギリスのような赤字財政には消極的であり、不換紙幣の発行についても拒絶しました。
そのため、財産の没収によって国家財政を支えるしかなくなったフランスは、他国の富を収奪すべく侵略を繰り返し、疲弊していきました。こうして財政軍事国家イギリスは、ナポレオン戦争に勝利し、覇権国家としての地歩を固めたんです。
――そうなんですね。つまり、現代の資本主義を支えるさまざまな制度は、戦争を通じて生み出されてきたと?
中野 歴史を丹念に辿ると、そう観察するほかないんです。
――それが事実だとすれば、否定するわけにはいかないですね……。