反発があってようやくスタート地点

 実際ぼくは、 DA PUMPの『U. S. A.』も「那須川天心vsメイウェザー」も「ZOZO前澤友作さん(当時)のお年玉1億円」も「新しい地図」も『カメラを止めるな!』も、最初に聞いたとき「まさか」と言ってしまっていた。思うでしょ、普通は。

「なるほど」は納得から来る言葉だが、納得という正攻法では、我々はもうGAFAに勝てない。あれだけの巨大帝国と戦うには、奇襲しかない時代だ。正攻法で行くなとは言わないが、しかし超巨大資本でアメリカと中国がやりきっちゃっている状況下に「なるほど」で戦うのは、だいぶ大変だ。無謀といってもいい。

さらに言えば情報の流通量が圧倒的に増加している中で、「なるほど」程度のものは印象に残らず流れてしまう。「まさか」があってはじめて、忙しい消費者たちの心を奪えるし、好きになってもらえる。「心を奪う、精神を奪う」要素が必要なのだ。

もちろん「まさか」は会議で反発を喰らう。ぼくの経験上、反発がないものはうまくいかない。反発があって、ようやくスタート地点。「これ、大丈夫?」「このサービス、本当にニーズあるの?」と心配されるくらいのものしか、今はうまくいかないのだ。

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