今回の場合、自然現象の津波と異なり、我々の行動によって感染爆発が起きるかどうかの未来が変わってきます。対応がうまくいっているときにはコロナの感染拡大という現象は立ち現れることはありません。しかし、先に述べたように、それが起こるときは、感染爆発という津波として襲ってきてあっという間に手の施しようがなくなります。そうなってからはすべてが遅いのです。

 甘い想定のほうを採用して逃げなければ、悪い想定の側に転んだとき、つまりいざ感染爆発の津波が来たときには、たくさんの命が失われることになります。経済もまた回復不可能なほどの甚大な打撃を受けることになるでしょう。事実、今回の新型コロナでは諸外国において悪い想定をも超え続けることで、壊滅的な惨事が起きているのです。

政府の「2週間様子見」は
危機のマネジメントとして間違い

「本当に日本でそんな悲惨なことが起こるのか」と、半信半疑の人は少なくないかもしれません。

 あの日、大川小だけでなく、「津波が来たから逃げろ!」と言われても逃げなかった人はたくさんいましたが、津波を見て逃げなかった人はいません。感染爆発が起きていない現時点の日本で、程度の差こそあれ、それぞれの心の中にそうした疑いの気持ちが混ざっているのは自然なことです。人間には自分の目で見るまではいくら言われても信じられないという “自分の目過信バイアス”があります。

 しかし、ドラッカーの言葉を借りればこれは諸外国で「すでに起きた未来」です。こうした危機的な状況にありながらも甘い想定を選んでしまう要因は、これまでの意思決定のあり方にあるといえます。本当に問うべきは、「確信が持てないからといって、常に甘い想定を採用していたらいずれどうなるのか?」です。

 車通りの少ない道(車は来るかもしれないし、来ないかもしれない)だからといって信号無視していたら、いつか車が来たときには致命的な事故を起こし、命を落とすことになります。津波警報が出たら高台に避難するという生存行動をとっていれば、いつか津波が来たときには助かります。

 確信が持てない場合には、より悪い想定を採用し、即座に行動に移さなければなりません。通常のクライシスでもそうですが、今回のコロナ災害は各国の当初の見込み通りに収まったためしがなく、想定をはるかに超えてくるという点に特徴があります。

 そうしたことを踏まえれば、政府の「2週間様子を見る」という意思決定の保留は、危機のマネジメントとしては完全な間違いと言えます。