感染爆発は津波のようなもので、のみ込まれたらなすすべはありません。

 これは本質行動学の祖に位置づけられるドラッカーの言うところの「すでに起きた未来」であり、実際、諸外国ではこのToo Late Mechanism(手遅れになる構造)により医療崩壊を起こし、「助かったはずの命」まで失われる地獄絵図のような惨禍になっているのです。

クライシスマネジメント
最大の阻害要因は「意思決定の停滞」

 私は、4月3日に「今日、東京でロックダウンすべき理由 —各地域の状況に応じて、各組織、家庭ごとに緊急事態宣言を出し、命を守る行動を」という記事をフェイスブックに投稿しました。さまざまな専門家、また国民の多くもそうした声をあちこちで上げていました。

 しかし、ようやく政府が緊急事態宣言の意思を固めたのは4月6日、発令が4月7日、発効されたのが4月8日です。この間も、新型コロナウイルスの水面下での指数関数的増加しており、危機的状況を格段に高めてしまったように思います。

 上記の投稿で私は、「終わったことを言っても詮無きことですし、そうなるにはそれなりの理由があるはずで、特定の人や組織を責めても生産的ではありませんが、今後も繰り返すようなことがあれば、欧米列国と同様に手の施しようのない凄惨な事態になってしまうでしょう」と述べました。

 しかし、緊急事態宣言施行後も、西村康稔経済再生担当相が7都府県知事に「休業要請を2週間程度見送るよう打診」し、緊急事態宣言を実質骨抜きにするなど、意思決定の保留、停滞が見られました。

確信が持てないときは
より悪い想定を採用する

 今回のような人や組織の危機的状況においては、「命」がかかっています。本当に感染爆発が起こるのか否か確信が持てない、どうしようなどと迷っていては助かる命も助からなくなります。

 誰もが経験したことのない未曽有の状況で、確信を持った意思決定ができるほうがまれです。確信が持てるまで待っていては、大川小と同じことになると思います。

「津波が来るかもしれない」「いや来ないかもしれない」――。確信を持てないときは、命にかかわる想定のほう、つまり「来るかもしれない」を採用して行動しなければなりません。

 津波警報が出て、津波は来ないかもしれないが、念のため高台に逃げて津波が来なかったら、「津波が来なくてよかったね、こういう生存行動をとり続けていればいつか来たときに助かるね」ということになります。