じつは、ポロックがアートの歴史に名を刻んでいるのは、描き方そのものが珍しいからではなく、この描き方を通じて「自分なりの答え」を生み出したからにほかなりません。
そして、彼の《ナンバー1A》という「表現の花」は、この世の中にカメラが登場して以来、アーティストたちを駆り立ててきた「アートにしかできないことはなにか?」という問いに対する究極の答えを生み出すことになったのです。
次回はそれについて見ていきましょう。
書籍のご案内
「この美術、おもしろすぎる…」
中高生たちを熱狂させ、大人たちの心も揺さぶる「人生が変わるアートの授業」がこの一冊に!
私たちは「1枚の絵画」すらもじっくり見られない──著者より
みなさんは、美術館に行くことがありますか?
美術館に来たつもりになって、次の絵を「鑑賞」してみてください。
さて、ここで質問です。
いま、あなたは「絵を見ていた時間」と、その下の「解説文を読んでいた時間」、どちらのほうが長かったですか?
おそらく、「ほとんど解説文に目を向けていた」という人もかなり多いと思います。
あるいは、「鑑賞? なんとなく面倒だな……」と感じて、すぐに画面をスクロールした人もけっこういるかもしれません。
私自身、美大生だったころはそうでした。
いま思えば、「鑑賞」のためというよりも、作品情報と実物を照らし合わせる「確認作業」のために美術館に行っていたようなものです。
いかにも想像力を刺激してくれそうなアート作品を前にしても、こんな具合なのだとすれば、まさに一事が万事。
「自分なりのものの見方・考え方」などとはほど遠いところで、物事の表面だけを撫でてわかった気になり、大事なことを素通りしてしまっている──そんな人が大半なのではないかと思います。
……でも、本当にそれでいいのでしょうか?
以前、モネの《睡蓮》を見た4歳の男の子が、こんな言葉を発したことがあったそうです。
「かえるがいる」
みなさんは先ほどの絵のなかに「かえる」を発見できましたか?
じつをいうと、この作品のなかに「かえる」は描かれていません。それどころか、モネの作品群である《睡蓮》には、「かえる」が描かれたものは1枚もないのです。
その場にいた学芸員が「えっ、どこにいるの」と聞き返すと、その男の子はこう答えたそうです。
「いま水にもぐっている」
私はこれこそが本来の意味での「アート鑑賞」なのだと考えています。
その男の子は、作品名だとか解説文といった既存の情報に「正解」を見つけ出そうとはしませんでした。むしろ、「自分だけのものの見方」でその作品をとらえて、「彼なりの答え」を手に入れています。
彼の答えを聞いて、みなさんはどう感じましたか?
くだらない? 子どもじみている?
しかし、じっと動かない1枚の絵画を前にしてすら「自分なりの答え」をつくれない人が、激動する複雑な現実世界のなかで、果たしてなにかを生み出したりできるでしょうか?
『13歳からのアート思考』は、私がふだん行っている授業をバージョンアップさせた体験型の書籍です。
タイトルには「13歳からの……」とありますが、大人の方にこそ「13歳」の分岐点に立ち返っていただき、「美術」の本当の面白さを体験してほしいというのが、私の願いでもあります。