あちらとこちらを分ける危険に抵抗しよう

 関係性の観念は「こちら側(内部)/あちら側(外部)」の違いを鮮明にする。違いをことさら強く感じさせる。そして残念ながら、人は内部の人に共感しやすく、外部の人に違和感を抱きやすい。人は内部こそ正しいと欲望するし、その正しさに居直ることができる。そうなれば外部の人を攻撃する時に感じる「良心の呵責」は最小になってしまう。相手の痛みに思いを馳せることなく“平気”で相手の権利を脅かせてしまう。哲学者スラヴォイ・ジジェクはこれを「内部と外部との不均衡」と呼んだ

 独裁国家が仮想敵を想定し、それを国家内で喧伝することで国民を団結させることがある。これは、上記人間の性向を利用したものだ。

 ソーシャルディスタンスを国境線のように争いの元にしてはならない。“2メートル”を守っているかいないかを攻撃の口実にして、その線をめぐって争うのは愚の骨頂だ。本来プラスの働きが期待されたものを、「きちんと守る人/守らない人」を区別し、ことさら差異を強調して争いのきっかけにしてはならない

 まずは、そういった危なっかしい側面が人間に(もちろん自分にも)あると知ろう。ささやかではあるが、そういった自覚が、いたずらに人を内と外に分け、分断したがる人の性向に歯止めをかけるのだ。

 あるいは、すでに“国境線”ができ、異論を唱える人との間の線上に“壁”すらできているのであれば、「相手にうつさない」という良心的なソーシャルディスタンスの意義に立ち戻り、壁に“窓”をつけ、せめて“向こう側”を見られるようにしてはいかがだろうか。いきなり壁を壊すのではなく、相手を一人の悩める人間として見通せる窓をつくり、丁寧に、相手との対話の回路を開きたい。そうすることは可能だと私は信じている。新型コロナの第二波、第三波がもし起きたとしても被害と悲しみを最小にしたいと願いつつ。

[参考]
・WHOホームページ「Coronavirus disease(COVID-19)Pandemic」より
https://www.who.int/emergencies/diseases/novel-coronavirus-2019
・CDCホームページ「Social Distancing, Quarantine, and Isolation」より
https://www.cdc.gov/coronavirus/2019-ncov/prevent-getting-sick/social-distancing.html
・ダニエル・デフォー『ペストの記憶』武田将明訳、研究社、2017年
・京都産業大学に対する抗議や苦情、“コロナ差別”の話題は以下を参考にした
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200410-00011046-bengocom-soci
・スーザン・ソンタグ『隠喩としての病い』富山太佳夫訳、みすず書房、2012年
・スラヴォイ・ジジェク『斜めから見る』鈴木晶訳、青土社、1995年