――いまでも、学校の現場では非効率なものは排除される傾向にある?

末永 それはあると思います。いまという時代は、従来の社会とは大きく変化しているはずなのに、そのときにできた枠組みがそのまま残っている。学校もそうですし、きっと会社でも同じようなことが起きているのだと思います。

 だから、従来の学校のシステムのなかで、真面目にがんばって、優秀だった人ほど「自分の答えを持てない」。というか、非効率だから「持たないように教育されてきた」という部分があるのではないでしょうか。

新型コロナショックにより「不確実な時代」が実感された

 『13歳からのアート思考』では「アートという植物」というイラストを用いて「アート思考」を説明しているのですが、目に見えるアウトプットの部分に「表現の花」があって、地中には、自分なりの「興味のタネ」、それをさらに深くに掘り下げていく「探究の根」があります。

コロナ時代に「真面目で優秀な人」が体験すること

 ただ、どうしても従来型の教育システムでは「表現の花」、すなわちアウトプットの部分ばかりが注目されてきたように感じます。

 でもいま、世界中で新型コロナの問題が起こっていて、きっと多くの人が「社会が大きく変化・変動している」「ものすごい不確かな世の中だ」ということを実感していますよね。

 こういう未曾有の事態というのは、地上に強風が吹き荒れて、「花」が摘み取られてしまうような状況です。そんな状況に直面したとき、「表現の花」(地上のアウトプットの部分)だけを見つめてきた人ほど「本当に、どうしたらいいんだろう……」って困惑して、途方に暮れてしまうと思うんです。

コロナ時代に「真面目で優秀な人」が体験すること

――たしかに、いままでの働き方が大きく変わってしまったり、決まっていたはずの就職が取り消しになったり、大きな企業が倒産するなど、想定外のことが起こって、途方に暮れている人はたくさんいますね。

末永 でも、そういうときだからこそ「アートという植物」の全体像を見渡して欲しいと私は思っています。地上の、目に見える「花」というのはほんの一部でしかなくて、「タネ」と「根」の部分が9割を占めている

 だから、こういうときこそ、もっともっと「興味」とか「探究」のほうに目を向けられたらいいなと思います。「興味のタネ」とか「探究の根」は、コロナショックによって奪われることはないし、時間があるときにこそ、原点に立ち返って、自分なりの「探究の根」を伸ばしてみるチャンスなのだと思っています。