調べるほど女性代表には見えなくなった小池氏
踏みつけられた女性にこそ見出した尊敬の念
――著書の終盤で石井さんは「(小池氏を)これまでの女性たちの苦難の道の末に咲かせた花であるとして、受けとり、喜ぶことが、できない」と書いています。
今回の著書は小池氏の“批判本”と呼ばれますが、私はむしろ、小池氏を生み出したこの社会の流れ、在り様にこそ関心がありました。
そもそも私は、もっと女性の政治家が増えるべきだと思っていますし、決定権を持つべき立場に就く女性が増えれば、世の中をいい方向に変えることができると考えています。その趣旨からいえば、常に女性初といわれてさまざまなポジションに就いてきた小池氏を理屈の上では応援すべきなのですが…。でも私にはどうしても、彼女を女性の代表として見ることができないのです。
小池氏について調べれば調べるほど、彼女を女性たちの苦難の歴史の果てに咲いた花、成果であるとして見ることができなくなりました。
小池氏は、私がこれまで評伝で取り上げてきたどの女性たちとも違います。今回の取材でも、私は尊敬したくなる素敵な女性たちとたくさん出会うことができました。カイロで小池氏と同居していた早川さんがそうですし、「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」副会長の古川和子さん、築地市場の移転に反対していた「築地女将さん会」の方々などです。市井にはこんなにも優れた女性たちがいるのだと感激しました。でも、そうした女性たちが小池氏によって踏みつけられていったわけです。
一方で、自分のことしか考えていない小池氏という人間が、ひたすら階段を上って「女性初」として社会の称賛を浴びていく。どうして彼女に出世の階段を上らせてしまったのか。社会を見渡せば“ミニ百合子”のような女性はたくさんいます。そのような人が出世してしまうという社会でいいのか。地道に努力している女性が踏みつけられていいのか、考えさせられました。
とはいえ、小池氏を現在の地位から引きずりおろしたいと考えて作品を書いたわけではありません。しかし、早川さんら、これが女性のすごさだと思わせてくれるような市井の女性たちに出会い、その正義感に触れ、小池氏よりも、そうした女性たちに私の心情が傾いたことは事実です。
歴代内閣における女性閣僚の多くがそうですが、どうしても男性側がピックアップして選ぶ。彼女たちは高い地位にいる男性によって選ばれた女性であって、女性たちの塊の中から上へと押し上げられた人材ではありません。
男性側も、女だから大臣にはしてやるが、総理大臣なんてとんでもないというのが前提で、女性閣僚はあくまでもアクセサリーのような存在です。また最近の女性政治家を見ていると、有能で素敵な私を見てほしいという、自分の虚栄心を満足させたいという思いから政界進出するタイプが多いように見えます。
小池氏を、ドイツのアンゲラ・メルケル首相、台湾の蔡英文総統と同列に並べ、コロナ対策で成功したのは女性リーダーだったと論じた記事も目にしましたが、果たしてそうでしょうか。日本では残念ながら女性側の人材の裾野の小ささもあり、メルケル氏や蔡氏のような、能力があって実務ができ、真摯な言葉で人を感動させることができる女性リーダーがなかなか出てきません。日本でも早く出てきてほしいと思います。