ある夫婦のディナーの場合

 人々が社会でどう意思決定をするかを分析する「ゲーム理論」は、経済学の一部だ。その経済学に対するよくある批判の中に、「経済学では、人は自分の『効用』のみを最大化したいと考えていると仮定をして分析を進めるが、それは荒唐無稽」というものがある。このような批判に対して経済学者として言いたいことは山ほどあるのだが、そのうちの一つをここで述べておこう。

 経済学の中にも、「人が他人の感情を気にする」という仮定のもとに分析を進めるものもある。「人が他人の感情を気にする」ことがもっともらしそうな状況には、そういった分析が役に立つ。

 しかしこの「人が他人の感情を気にする」というのは、実はなかなか難しい話なのだ。

 こんな例を考えてほしい。夫婦がロマンティックなディナーを楽しんでいるとする。

 夫は妻に言う。
「僕は、君が僕を愛する量の、2倍君を愛している」
 妻は夫に言う。
「私は、あなたが私を愛する量の、2倍あなたを愛している」

 この2人の言っていることは相矛盾するだろうか。実は、これらが矛盾しない「愛の量」がある。それは、「2人の愛の量はどちらもゼロ」ということだ。だから、世の中のカップルは、相思相愛が行き過ぎたと思ったら、少し立ち止まって愛の量を確かめるといい。

 というのは冗談だが、この話で大事なのは、夫の愛の量は妻の愛の量に影響を与え、それが翻って夫の愛の量に影響を与える、ということである。

 同じように、「人が他人の感情を気にする」ような状況では、私の気持ちはあなたの気持ちに影響を与え、それが翻って私の気持ちに影響を与える。そしてもちろんそれがまた、あなたの気持ちに影響を与える。これが延々と続く。

 だから私が何か行動をとると、それは私の気持ちに直接的に影響を与えるだけではなく、あなたの気持ちの変化を通じて間接的に私の気持ちにまた影響を与えるのだ。たとえば私が微笑むと、私が幸せな気分になるだけではなく妻も嬉しくなるので、それで私も嬉しくなる。だから私はより一層微笑みたい、という具合だ。

 こういった複雑なことを考えなければいけないので、「人が他人の感情を気にする」状況をゲーム理論家が真面目に分析しようとすると、なかなか難しい。しかし、それは不可能ではない。

 「経済学は荒唐無稽」などと悲しいことを言わずに、まずこういった状況を真摯に分析しているゲーム理論家の話に、ぜひ耳を傾けてもらえると嬉しい。コロナ対策に役立つ分析も、ゲーム理論家はたくさんしていますよ。